(株)岡山製紙『岡山製紙100年史 : 1907-2007』(2008.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
5月 白裏板紙を抄造 当社のできごと
5月 商法改正公布(所有と経営の分離) 業界・社会のできごと
8月 広島分工場、板紙から和紙抄造に変更のため12月まで休業 当社のできごと
9月 役員会において日本洋紙との関係解除につき協議 当社のできごと
9月 日本板紙共同販売所設立 業界・社会のできごと
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
1月 中華民国成立 業界・社会のできごと
6月 本社工場で純白板紙を抄造 当社のできごと
6月 広島分工場の和紙製品が伊勢神宮部署暦用紙に採用される 当社のできごと
大正元年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
7月 明治天皇崩御、「大正」と改元 業界・社会のできごと
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
8月 火災により蒸解室および汽缶室・配合室の一部を焼失 当社のできごと
8月 孫文、黄興ら日本に亡命 業界・社会のできごと
大正3年(1914) - 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 渋沢関係略年譜
7月 第1次世界大戦始まる 業界・社会のできごと
8月 日本板紙共同販売所の申合せにより1カ月間稼働を休止 当社のできごと
- 本社構内に稲荷宮を建立 当社のできごと
大正4年(1915) - 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 渋沢関係略年譜
3月 大阪に出張所を設置 当社のできごと
7月 臨時株主総会で資本金減額および定款変更を決議 当社のできごと
9月 資本金を50万円に減額 当社のできごと
12月 株式市場暴騰、世界大戦景気始まる 業界・社会のできごと
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月 岩堂保平専務が死去、水田富太郎取締役を専務事務代行者とする 当社のできごと
2月 取締役の互選により水田取締役を専務取締役に選任 当社のできごと
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