※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 地下水汲み上げ設備完成 | 当社のできごと | |
10月 | 第1回国勢調査実施 | 業界・社会のできごと | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
10月 | ビーター室板床を鉄筋コンクリートに改造 | 当社のできごと | |
11月 | 原敬首相、東京駅頭で刺殺 | 業界・社会のできごと | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 舟入および荷揚場の土地家屋を池田宣政侯爵から購入 | 当社のできごと | |
12月 | ソビエト社会主義共和国連邦成立 | 業界・社会のできごと | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 叩解室を増築 | 当社のできごと | |
9月 | 関東大震災義援金3,000円を寄付 | 当社のできごと | |
9月 | 関東大震災発生(M7.9) | 業界・社会のできごと | |
11月 | 裏門前船溜両岸石垣を改築 | 当社のできごと | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 帝都復興局設置 | 業界・社会のできごと | |
5月 | 西部原料置場の積藁より出火するも工場への延焼は免れる | 当社のできごと | |
7月 | メートル法実施 | 業界・社会のできごと | |
10月 | 外濠貯水池南岸および東岸石垣を改築、埋立てにより地面を拡張 向籔を一部伐採し原料置場とする | 当社のできごと | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 普通選挙法公布 | 業界・社会のできごと | |
6月 | 東屋敷南側道路添いの村有悪水路を石灰コンクリートで整備 | 当社のできごと | |
7月 | 白ボール、マニラボールの製造販売を開始 | 当社のできごと | |
9月 | 浜野内宮神社の敷地拡張のため土地を購入、寄付 | 当社のできごと | |
10月 | 日本板紙同業会発足 | 業界・社会のできごと | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 工員就業規則を制定 | 当社のできごと |