※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月28日 | 大洪水のため地名発電所取水堰堤損壊 復旧工事のため約二五日間工場休転 | 当社の事項 | |
9月9日 | 輸出不振により生糸相場暴落 | 業界・一般事項 | |
9月 | 日本勧業銀行より二〇万円を長期借入 | 当社の事項 | |
9月 | 製品改良のため、セントリフューガルスクリーン五台、レファイナー二台新設 | 当社の事項 | |
9月 | 王子製紙苫小牧工場増設の五号機一四二吋高速長網式運転開始 | 業界・一般事項 | |
9月 | 樺太工業泊居工場操業開始 | 業界・一般事項 | |
12月18日 | 東京駅完成 | 業界・一般事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 亜硫酸パルプの市価八月以降騰貴 | 業界・一般事項 | |
8月 | 王子製紙豊原工場建設 | 業界・一般事項 | |
11月30日 | 大戦景気で株式市場大暴騰、その後も好況続く | 業界・一般事項 | |
12月 | 大倉喜八郎会長勲功により男爵を授けられる | 当社の事項 | |
- | 砕木パルプ生産順調、一〇〇馬力電動機一台、ウェットマシン三台改造(年産一五〇〇万ポンド) | 当社の事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | スエーデン、化学パルプ輸出を禁止 | 業界・一般事項 | |
2月 | 紙価高騰し、日本製紙聯合会は洋紙最高価格を公表し、市価の鎮静を図る//乾量一封度に対するパルプ平時価格、砕木三銭、亜硫酸六銭、曹達六銭五厘、わら七銭、綿八銭、三梗三〇銭 | 業界・一般事項 | |
5月21日 | 取締役原口要、監査役衣笠光遠退任 | 当社の事項 | |
5月21日 | 富士製紙との共同経営を廃し、大倉組の経営となる | 当社の事項 | |
5月 | 印刷局抄紙部十条分工場は王子製紙へ払下げ | 業界・一般事項 | |
9月26日 | 井川山林を大倉組より五〇万円で買受け直営事業とする | 当社の事項 | |
11月22日 | 定款の営業目的を変更し、新事業として製紙ならびに林業および製材業を加える | 当社の事項 | |
12月14日 | 資本金一四二万円となる | 当社の事項 |