※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 安田保善社設立 | 業界・一般事項 | |
1月 | 清国を中華民国と改め、孫文臨時大統領に就任 | 業界・一般事項 | |
3月8日 | 衣笠光遠監査役に就任 | 当社の事項 | |
4月 | 静岡市において全国製紙共進会を開く | 業界・一般事項 | |
4月 | 日本紙器製造所紙製品発売開始(日本紙器の前身) | 業界・一般事項 | |
6月19日 | 監査役三瓶鶴松退任 | 当社の事項 | |
6月 | 取締役山中隣之助、新海栄太郎退任、新たに原口要、町田徳之助取締役に就任 | 当社の事項 | |
6月 | 樺太ツンドラ板紙設立 | 業界・一般事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 地名発電所第二水路取入れのため大井川に木工沈床の新設および付帯工事を行なう | 当社の事項 | |
12月6日 | 取締役町田徳之助辞任、植田隆常務取締役に就任 支配人山中範太郎退任し支配人制を廃す | 当社の事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 出張所業務分掌を工務部、事務部、電気部の三部とする | 当社の事項 | |
5月 | 日本製紙聯合会は洋紙類の製造及び販売に関する統計分類を改正 | 業界・一般事項 | |
6月1日 | 銀行の支払停止続出 | 業界・一般事項 | |
6月 | 三井合名会社は樺太大泊に亜硫酸パルプ工場建設(樺太材によるパルプ製造の始まり) | 業界・一般事項 | |
10月 | 南満洲鉄道(株)満蒙五鉄道の敷設権獲得 | 業界・一般事項 | |
11月 | 初めて利益四万余円を計上する | 当社の事項 | |
12月 | 樺太工業会社成立(樺太木材産業会社の改称) | 業界・一般事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 高崎板紙設立 | 業界・一般事項 | |
7月28日 | 第一次世界大戦始まる | 業界・一般事項 | |
7月 | パナマ運河開通 | 業界・一般事項 |