旭電化工業(株)『社史 : 旭電化工業株式会社』(1968.03)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
9月 ドイツよりの輸入、石鹸用クーリング・プレス使用開始(p64) 当社
12月 藁パルプ研究再開(p60) 当社
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
9月15日 高度晒粉製造装置を設置(p55) 当社
9月28日 粗製グリセリン回収装置の運転開始(p59) 当社
- 東京硬化脂販売株式会社設立 参考
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
1月15日 研究所新築(p51) 当社
2月12日 第三電解室(現第一電解室)に送電開始、一号及び二号の回転変流機設置(p52) 当社
3月15日 金融恐慌勃発 参考
3月 高度晒粉試製品各方面に配布(p56) 当社
4月22日 モラトリアム実施(田中内閣) 参考
4月29日 大崎バター株式会社を買収し、五月に装置を尾久工場に搬入(p56) 当社
5月12日 モラトリアム期間満了財界は常態復帰 参考
5月28日 在満軍に山東出動命令 参考
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
2月 硬化油工場増強(p52) 当社
3月 液体塩素の製造機を試作(p56) 当社
6月4日 張作霖の爆死事件 参考
11月17日 日本農薬株式会社誕生(p62) 当社
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
3月 藁パルプ研究工業化試験段階に移行(p60) 当社
4月16日 本社所在地名変更、麹町区丸の内三丁目六 当社
6月3日 わが国は中国国民政府を承認 参考
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