曹達晒粉同業会『日本曹達工業史』(1931.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
- 保土谷曹達株式会社合成塩酸を製造す、是我国に於ける合成塩酸製造の嚆矢なり(p161、p163) 日本曹達工業年表
- 又同社[保土谷曹達株式会社]はフォスゲンの製造に成功す(p163) 日本曹達工業年表
- 苛性曹達の関税率改正せらる(p158) 日本曹達工業年表
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
11月 旭電化工業株式会社合成塩酸の製造を開始す(p161、p171) 日本曹達工業年表
- グラファイトの共同購入を開始す(p189) 日本曹達工業年表
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
5月 大日本人造肥料関東酸曹及び日本化学肥料の3社合同成る(p82、p95、p120、p135、p171) 日本曹達工業年表
- 大阪に関西硫酸販売株式会社設立せらる(p91) 日本曹達工業年表
- 華府会議により青島は支那に還付せられ、同地よりの食塩輸入一時中絶せらる(p2、p160、p220、p244) 日本曹達工業年表
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
- 独逸シーメンス会社のグラファイト輸入せらる(p160、p201) 日本曹達工業年表
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
- 東海電極製造株式会社のグラファイト試用せらる(p160、p203) 日本曹達工業年表
- 南海晒粉株式会社は土佐硫曹株式会社を設立す(p174、p184) 日本曹達工業年表
- 支那政府との間に青島塩の輸入に関する細目協定成立せるも未だ其円滑なる輸入を見るに至らず(p2、160、p226) 日本曹達工業年表
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月 日本曹達株式会社は日本電炉工業株式会社を合併し、9月富山県に第二工場を設立す(p178) 日本曹達工業年表
4月 旭電化工業株式会社は高度晒粉の製造を開始す(p161、p171) 日本曹達工業年表
7月 大阪アルカリ株式会社は大阪アルカリ土地株式会社となり、大日本人造肥料株式会社の経営に移る(p79) 日本曹達工業年表
- 大日本人造肥料株式会社も高度晒粉の製造を開始す(p161) 日本曹達工業年表
- 大日本人造肥料株式会社は富山県速星村にファウザー法の合成アムモニア工場を新設す(p82) 日本曹達工業年表
- 日本曹達大阪曹達(山桝硬化油製造所)の両社硬化油の製造を開始す(p162、p166) 日本曹達工業年表
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
- 大日本人造肥料株式会社は熊本県に於ける日本窒素肥料株式会社の鏡工場を買収す(p82) 日本曹達工業年表
- 大日本人造肥料株式会社及び旭電化工業株式会社の高度晒粉初めて支那に輸出せらる(p161) 日本曹達工業年表
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