曹達晒粉同業会『日本曹達工業史』(1931.02)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治40年(1907) - 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 渋沢関係略年譜
7月 日本人造肥料株式会社創立せられ、工場を東京府吾嬬町に置く(p83、p87) 日本曹達工業年表
7月 南海晒粉株式会社創立せられ、工場を和歌山市鼠島に置く(p136、p173) 日本曹達工業年表
- 硫酸晒粉製造株式会社七尾港に工場を新設し同時に硫酸肥料株式会社と改称す(p87、p130) 日本曹達工業年表
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
2月 日本硫曹株式会社創立せられ、工場を新潟に置く(p84、p88) 日本曹達工業年表
3月 関東酸曹株式会社肥料工場を又5月製銅工場を新設す(p88、p134) 日本曹達工業年表
7月 大阪に人造肥料販売株式会社設立せらる(p78) 日本曹達工業年表
8月 東京人造肥料株式会社北海道人造肥料株式会社及び帝国肥料株式会社合併す(p82、p84) 日本曹達工業年表
- 幅7.5尺長さ40尺の銅板製出せられ初めて多木製肥所新設鉛室に採用せらる(p85) 日本曹達工業年表
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
- 関東酸曹株式会社硫化曹達の製造を開始す(p134) 日本曹達工業年表
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
1月 南海晒粉株式会社青岸工場に於て硫酸製造を開始す(p136) 日本曹達工業年表
2月 東京人造肥料株式会社摂津製油株式会社の肥料部を買収す(p82、p84) 日本曹達工業年表
3月 日本舎密製造株式会社硫化曹達の製造を開始す(p119) 日本曹達工業年表
7月 東京人造肥料株式会社大阪硫曹株式会社を合併し、同時に大日本人造肥料株式会社と改称す(p80、p82) 日本曹達工業年表
- 東京府王子の陸軍火薬製造所に於てシュレーダー・ノイマン式により発煙硫酸の製造開始せらる(p90) 日本曹達工業年表
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
6月 大阪晒粉株式会社西九条の工場を廃止し稗島硫酸工場内に晒粉工場を移転す(p127) 日本曹達工業年表
- 吉川氏関東州に於て電解曹達法の研究を開始す(p150、p153、p165) 日本曹達工業年表
明治45年(1912) - 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 渋沢関係略年譜
5月 関東酸曹株式会社神戸市兵庫に肥料配合工場を設置す(p135) 日本曹達工業年表
7月 大阪アルカリ株式会社愛媛県川之石町に硫酸及び肥料工場を新設す(p78、p88) 日本曹達工業年表
大正2年(1913) - 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 渋沢関係略年譜
5月 ラサ島燐鉱株式会社創立せらる(p129) 日本曹達工業年表
- 日本製銅硫酸肥料株式会社安田家の経営となる(p83) 日本曹達工業年表
PAGE TOP