※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月10日 | 京都紫宸殿にて即位式挙行 | 参考記事 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月5日 | 二十七歳 丙辰 長女政子生まれる | 記事 | |
11月3日 | 裕仁親王、立太子式挙行 | 参考記事 | |
11月 | 東京市内のそば屋、もり・かけ一銭値上げして四銭となる | 参考記事 | |
12月9日 | 夏目漱石没 | 参考記事 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月3日 | 米国、世界大戦に参加 | 参考記事 | |
3月25日 | 東京市内の湯銭は三銭を越えざることを警視庁から浴場組合に通達 | 参考記事 | |
9月11日 | 東京市内湯銭一銭値上げして四銭となる | 参考記事 | |
10月1日 | 大暴風雨、東京に津浪、死者行方不明千百四十四名 | 参考記事 | |
- | 二十八歳 丁巳 開店当初の店舗(鉄砲町十二番地)と地続きの表通りの店舗(鉄砲町十三番地、現在の本社社屋のあるところ)に移転 | 記事 | |
大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 流行性感冒、全国に広がり、患者百五十万人、死者十五万人を計上 | 参考記事 | |
3月2日 | モスクワで第三インターナショナル(コミンテルン)創立総会開催 | 参考記事 | |
3月18日 | 三十歳 己未 長男新太郎生まれる | 記事 | |
3月23日 | イタリアにムソリーニのひきいるファシスト党結成さる | 参考記事 | |
5月7日 | 講和会議、赤道以北の南洋群島の委任統治国を日本に指定 | 参考記事 | |
6月28日 | 日本、ヴェルサイユ平和条約に調印 | 参考記事 | |
6月28日 | 日本、国際連盟および国際労働機構(ILO)に加盟 | 参考記事 | |
10月22日 | 試験的に東京-大阪最初の郵便飛行 | 参考記事 | |
10月 | 東京市内のそば屋、もり・かけ一銭値上げして八銭とする | 参考記事 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
3月3日 | 皇太子裕仁親王軍艦香取にて欧州巡遊の途に上る 九月三日帰朝 | 参考記事 |