※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 三十二歳 辛酉 大阪市南区塩町一丁目安堂寺橋際河岸通りに大阪出張所を開設(初代出張所長平野福八) | 記事 | |
8月17日 | 第一回国勢調査の結果、内地人口五千五百九十六万三千五十三人と発表さる | 参考記事 | |
11月25日 | 皇太子裕仁親王、摂政に就任 | 参考記事 | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 三十三歳 壬戊 次男義二郎生まれる | 記事 | |
3月10日 | 平和博覧会、東京上野公園で開催 | 参考記事 | |
4月8日 | 国語調査会、常用漢字約二千字決定 | 参考記事 | |
12月30日 | ソビエト社会主義共和国連邦の成立宣言 | 参考記事 | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 三十四歳 癸亥 関東大震災で店舗焼失 | 記事 | |
9月1日 | 関東大震災(午前十一時五十八分)、死者九万千八百二人、行方不明四万二千二百五十七人 | 参考記事 | |
10月11日 | ドイツ・マルク大暴落(一ポンド対百九十億マルク) | 参考記事 | |
11月 | 三十四歳 癸亥 新店舗落成 | 記事 | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
1月21日 | レーニン死去 | 参考記事 | |
1月26日 | 皇太子裕仁親王、久邁宮良子女王と御成婚 | 参考記事 | |
7月31日 | 「贅沢品輸入税引上法案」(十割関税案)実施 | 参考記事 | |
10月8日 | 三十五歳 甲子 母ヤス死去、享年七十七歳//菩提寺水野天然寺//戒名好林妙容大姉 | 記事 | |
- | 三十五歳 甲子 隣家の三浦印刷所を買収して店舗拡張 | ||
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 三十六歳 乙丑 三男正雄生まれる | 記事 | |
3月12日 | 孫文死去 | 参考記事 | |
5月5日 | 衆議院議員(普通)選挙法公布、二十五歳以上の男子に選挙権をあたえる | 参考記事 | |
- | この年、東京六大学野球連盟成立 | 参考記事 |