大日本セルロイド(株)『大日本セルロイド株式会社史』(1952.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
12月26日 諸般の整理を断行し、繰越損失金を償却せんがため株主総会に於て資本金一千二百五十万円を減資し、一千万円と変更することを承認 会社年表
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
2月20日 △国勢院の調査により日本の総財産八百六十億円と決定 会社年表
3月18日 三井物産株式会社リヨン出張所並びに同社神戸支店と欧洲大陸向生地委託品販売に開する契約締結を決議す、市況多少回復し会社の配当行はるにより重役報酬を復活 会社年表
4月11日 日本セルロイド腕環株式会社に対しセルロイド生地販売契約を締結 会社年表
7月10日 平和記念東京博覧会に於て当社出品セルロイドは名誉大賞牌を授与せらる 会社年表
11月28日 東京工場の製造を再び開始 会社年表
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
2月27日 当社製品セルロイドに対し“CAMPHOLOID”商標登録願の件、米国ワシントン政府登録特許局より許可 会社年表
3月12日 社員川田信衛氏外八名の設立に係る住宅組合の低利資金借入に対し所要担保価格を会社にて一時融通 会社年表
3月19日 堺工場の製造能力、月産二十八万封度を四十万封度に増強する為一部施設の拡張を行ふ 会社年表
5月28日 秩父宮堺工場御視察、当社より沿革誌並びにサツク入セルロイド製化粧具一個献上 会社年表
5月30日 仏国オヨナツクス町に建築中のセルロイド貯蔵用倉庫落成、営業開始 会社年表
6月10日 農商務大臣荒井賢太郎氏堺工場視察 会社年表
7月23日 当社大阪面会所を大阪市東区瓦町二ノ五五、山口ビルデイング内に移転 会社年表
7月31日 △日露非公式予備交渉修了 会社年表
9月1日 関東大震災、東京工場若干の損害あり、本社販売係員東京駐在所罹災し仮事務所を東京府南葛飾郡亀戸町二〇八〇に移転 会社年表
10月10日 東京工場修復成り運転開始 会社年表
11月24日 震災により櫛職人の大部分仕事場を失ひし為、家内工業用バラック式住宅二十八戸の建築を東京府下寺島町に開始す、問屋並びに加工業者がセルロイド生地貯蔵場を失ひし為中央倉庫一戸小倉庫二戸建築を始む 会社年表
11月24日 昨年三月十八日の三井物産との契約を同社分身たる新会社Societe Anonyme Francaise Bussanとの契約に変更 会社年表
12月24日 セルロイド玩具共同販売所解散し之に伴ひ当社の同所に対するセルロイド生地特価販売契約を解除 会社年表
12月27日 本社販売係員東京駐在所を東京市日本橋区通塩町八に移転 会社年表
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