大日本セルロイド(株)『大日本セルロイド株式会社史』(1952.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
2月27日 専務取締役嶋村足穂氏欧米商況視察の途に上り十月二十七日帰朝 会社年表
3月15日 セルロイド商況視察の為、飛垣事務員約三ヶ月の予定を以て香港、フィリッピン、印度、マレービルマ方面に出張 会社年表
3月26日 セルロイドの急激たる需要増加に応ずる為東京工場の一部拡張工事を実施 会社年表
4月2日 農商務大臣前田利定氏堺工場視察 会社年表
4月 △米国上下両院に於て排日法案可決 会社年表
6月25日 堺工場に労働争議発生し、ストライキを決行、七月六日平静に帰す 会社年表
7月1日 △メートル法実施 会社年表
8月1日 当社職工規則並に職工扶助解雇及び退職手当金規程改正施行 会社年表
9月5日 常務取締役浅野修一氏商況視察の為ウラジオストック方面に出張、同年十月十七日帰朝 会社年表
10月13日 網干工場再開 会社年表
10月23日 東京に於ける中小生地製造業者六社、当社斡旋の下に合同して東京セルロイド株式会社を創立 会社年表
11月30日 皇后陛下堺市行啓に際し、当社に西邑事務官御差遣、セルロイド加工品二十四点献上 会社年表
12月2日 農商務大臣高橋是清氏堺工場視察 会社年表
12月 当社招聘ドイツ人加工技術家ポールビューレル氏、二ケ年間の契約を以て来朝の為ドイツを出発 会社年表
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
1月21日 △日露国交条約調印を了す 会社年表
1月22日 堺工場硝化室一部焼失 会社年表
3月1日 △東京の放送局開設ラジオ放送開始 会社年表
5月19日 摂政宮大阪市に行啓、府下特産品御覧、当社セルロイド製品も出品、次で大阪府献上品に当社セルロイド製化粧用具を加へらる 会社年表
5月21日 商工大臣野田卯太郎氏堺工場視察 会社年表
5月 ニューヨークに事務員片岡鶴之助氏を駐在員として派遣 会社年表
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