大日本セルロイド(株)『大日本セルロイド株式会社史』(1952.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
6月11日 技手植田一氏繊維素化学研究の為欧洲留学の途に上る 会社年表
6月12日 網干工場製産能力拡張を行ふ 会社年表
6月12日 硫酸工場其他に要する資金として網干工場を担保に勧業銀行より借入を行ふ(大正十五年六月四日償還し抵当権抹消さる) 会社年表
6月12日 土佐曹達株式会社に於ける硫酸工場を南海晒粉株式会社と共同経営することを決議 会社年表
6月12日 オヨナツクス駐在員を廃しロンドンに之を移す 会社年表
9月28日 △朝日新聞社の訪欧飛行機パリに到着 会社年表
10月4日 久邇宮殿下堺工場視察につき当社製品を献上 会社年表
10月12日 網干工場ハイアツト式硝化装置増設兵庫県知事より認可 会社年表
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
4月9日 △労働争議調停法公布 会社年表
7月1日 本社販売係東京駐在所を販売係東京出張所と改称 会社年表
8月20日 △日本放送協会組織さる 会社年表
8月 大阪セルロイド倉庫株式会社創立、当社も之に参加 会社年表
10月3日 常務取締役浅野修一氏商況視察の為、上海に出張、翌年四月二十五日帰朝 会社年表
12月13日 大日本製糖会社と提携し酒精製造事業を始む、東洋乾板会社に投資を決議、オヨナックス倉庫を閉鎖、健康保険法により職工の保険料金を会社にて負担することを決議、上海に加工試験所設置を決議 会社年表
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
1月1日 本社販売係大阪面会所を販売係大阪出張所と改称 会社年表
4月20日 △財界不穏の状況となりモラトリアム法発布 会社年表
6月13日 丸佐セルロイド加工場ローヤルセルロイド株式会社寺本商店の合併を決議、日本セルロイド製品会社創立に參加を決議 会社年表
7月14日 三国加工場を株式組織に変更会社を創立、ついで増資す 会社年表
7月22日 東京工場にラクトロイド研究室を建設 会社年表
7月27日 東京工場にフイルム試験所を建設 会社年表
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