※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪工業試験所内に阪神塗料製造技術員懇談会生る | 参考事項 | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 商報の誌名を“ペイント”と改め第30号から小冊子とす | ||
- | 固定資産の償却を当期から始める | ||
- | 新に社員11名採用、当社の発展の準備計画の実施 | ||
- | 京城出張所独立 | ||
- | 大正天皇崩御 | 参考事項 | |
昭和元年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | シャーウイン・ウイリアムス会社のラッカー総代理店引受契約成る//シ社[シャーウイン・ウイリアムス会社]ガーバー氏来る | ||
- | 改元 | 参考事項 | |
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | シャーウイン会社オペックスラッカー第1回注文品入荷、オペックスラッカー発売開始 | ||
- | 古河理化試験所でラッカー研究開始 | ||
- | 住友本社新築の美術塗装に当社のペイント使用 | ||
- | 古河事業報告会生る | 参考事項 | |
- | 塗料容量メートル法に改定 | 参考事項 | |
- | 金融恐慌起り支払猶予令布かる | 参考事項 | |
- | 同業5社二七会を結成 | 参考事項 | |
昭和3年(1928) | - | 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 39号以来中絶のペイント誌11月再発行 | ||
- | 売上高1期78万円を超え新記録樹立 | ||
- | 吉武常務取締役退任し兼本興継氏常務取締役に選任 | ||
- | 張作霖爆死事件起る | 参考事項 | |
- | 御即位式挙行 | 参考事項 |