※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治27年(1894) | - | 【渋沢栄一】東京瓦斯株式会社取締役会長。東京海上保険株式会社取締役。北越鉄道株式会社創立発起人。札幌麦酒株式会社取締役会長。〔54歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 高峰譲吉、アメリカで麹菌から強力消化酵素「タカヂアスターゼ」を発見し、特許権取得 | 内外事情 | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業(後に澁澤倉庫会社・発起人)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | アメリカのパーク・デービス社は、高峰譲吉から、日本を除く世界各国に対するタカヂアスターゼ販売権をえ、販売を開始 | 内外事情 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月9日 | 新商法公布 | 内外事情 | |
3月 | 匿名合資・三共商店(資本金3千円、店主=塩原又策、出資者=塩原又策・西村庄太郎・福井源次郎、所在地=横浜市弁天通横浜刺繍株式会社内)を設立し、タカヂアスターゼの輸入試売を開始 | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | タカヂアスターゼ | 主要発売品 | |
- | 高峰譲吉、工学博士の学位をうける | 内外事情 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 高峰博士、副腎の有効成分「アドレナリン結晶」の抽出に成功(協力者・上中啓三) | 内外事情 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。日本女子大学校開校・会計監督(後に校長)。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 高峰博士、アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学で「アドレナリン」の学術研究を発表、絶賛を博す | 内外事情 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月30日 | 日英同盟条約締結 | 内外事情 | |
3月25日 | 商業会議所法公布 | 内外事情 | |
5月8日 | 台湾全島民を日本国籍に編入 | 内外事情 | |
- | 三共商店薬品部を開設移転(東京市日本橋区南茅場町) | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | 高峰博士アメリカから帰朝、塩原又策は博士から正式にタカヂアスターゼの日本販売権の許諾をうる | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | 高峰博士の推挙によりパーク・デービス社の日本総代理店となり、同社製品の輸入販売を開始 | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | 高峰博士の仲介でアメリカのアーサーコルトン社と特約し、同社の製錠機械日本一手販売者となる | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | 代理店制をしき、関東は鳥居徳兵衛商店、関西は武田長兵衛商店を選定 | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | 北里柴三郎医博の委嘱によって医界評論誌『医海時報』の刊行を経営 | 当社のあゆみ商店時代 | |
- | 塩化アドリナリン | 主要発売品 | |
- | アドリナリン注射液 | 主要発売品 | |
- | カスカラ糖衣錠 | 主要発売品 |