※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
5月1日 | 福岡で開催された工業博覧会において当社出品製品名誉大賞牌を受ける | 当社の歩み | |
5月17日 | 試験部移転のため大阪市北区西堀川町34番地の工場・土地を買収 | 当社の歩み | |
12月6日 | 劇薬取締令公布(モルヒネ、コカイン取締) | 内外事情 | |
12月19日 | 第4改正日本薬局方公布 | 内外事情 | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 度量衡法改正法公布(メートル法採用) | 内外事情 | |
4月20日 | 増資決議新資本金200万円 | 当社の歩み | |
10月29日 | ヒドノールの広告を朝日新聞に掲載(当社最初の広告) | 当社の歩み | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月7日 | 東京支店を東京市日本橋区本町4丁目4番地に移転 | 当社の歩み | |
4月22日 | 健康保険法公布(大15・7一部施行、昭2・2全面施行) | 内外事情 | |
7月10日 | 東京で開催された平和記念博覧会において当社出品の無水アルコール、没食子酸、焦性没食子酸及び局方製剤名誉賞牌を受ける | 当社の歩み | |
7月30日 | 大阪市東区道修町3丁目25番地の土地・建物を購入 | 当社の歩み | |
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月1日 | 関東大震災のため東京支店の建物、商品等を焼失 支店業務は東京支店付属工場に移して行う | 当社の歩み | |
10月1日 | 震災による薬品需要激増に対処するため西堀川工場を試験部分工場と改称し試験薬品の小分業務を開始 | 当社の歩み | |
11月12日 | 東京支店所在地に仮建物を建築し東京支店復帰 | 当社の歩み | |
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
6月24日 | 定款変更 会社の目的に「食料品の製造並に販売」を追加(水飴製造) | 当社の歩み | |
9月27日 | 中華民国商標局より登録商標〓[○+P]印及び女神印の商標権取得の証を受ける | 当社の歩み | |
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
3月16日 | 東京工場付属の東京研究所を東京市本郷区駒込動坂町100番地に設置 | 当社の歩み | |
4月14日 | 薬剤師法公布 | 内外事情 | |
6月29日 | 「輸入品防過」の功績に対して日本産業協会よリ小磯社長功績表彰を受ける | 当社の歩み | |
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月8日 | 取締役社長小磯吉人死去 | 当社の歩み |