大日本製薬(株)『大日本製薬90年のあゆみ』(1987.12)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
2月18日 上村長兵衛取締役社長に就任 当社の歩み
5月13日 東京で開催された第2回工業博覧会において当社出品製品名誉賞牌及び銀牌を受ける 当社の歩み
10月24日 日本薬剤師会設立 内外事情
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
5月12日 取締役兼本店支配人滝野勇長井博士に同行し欧米薬業界視察のため出発(12・9帰国) 当社の歩み
7月1日 薬品小分量目にメートル法を採用 当社の歩み
9月1日 台湾出張所を台北市御成町5丁目6番地に開設 当社の歩み
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
6月4日 東京支店の敷地を買収し大伝馬町1丁目25番地の旧支店敷地を売却 当社の歩み
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
2月10日 顧問長井長義博士死去 当社の歩み
2月14日 本社社屋建築に着工(大阪市東区道修町3丁目25番地) 当社の歩み
3月18日 東区北浜3丁目の試験部を堀川に移転し分工場を統合 当社の歩み
6月20日 工場危害予防及び衛生規則公布 内外事情
6月24日 役員異動//取締役社長上村長兵衛辞任//専務取締役に滝野勇、常務取締役に岡沢良次選任され代表取締役となる//定款変更 会社の目的に「売薬・売薬部外品の製造販売」を追加 当社の歩み
10月24日 世界経済大恐慌始まる(ニューヨーク株式市場大暴落) 内外事情
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
2月11日 本社新社屋完成 当社の歩み
2月17日 本社を移転 当社の歩み
7月27日 常務取締役岡沢良次国際連盟阿片委員会に出席し併せて欧米薬業界視察のため出発(6・1・25帰国) 当社の歩み
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
5月8日 第3回化学工業博覧会において当社出品焦性没食子酸進歩賞、タンニン酸及びヱフェドリン「ナガヰ」名誉賞を受ける 当社の歩み
9月18日 満州事変起こる 内外事情
12月21日 滝野勇取締役社長に就任 当社の歩み
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
5月19日 東京支店本建築工事始まる 当社の歩み
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