※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 秋田の千蒲善五郎、八橋の原油をランビキ法で製油 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
- | 秋田の柿岡源十郎ら、組合事業で油井を手掘し、石油を精製 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
- | 越後の久須美三郎ら、ハリー(米)を雇い越後油田調査(石油開発で日本初の外人雇用) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月10日 | オハイオ・スタンダード(米)設立(スタンダード系諸会社の祖) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
10月20日 | *工部省設置 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 石坂周造、東京に長野石炭油を設立(資本金3万円、日本で初登録の会社) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 開拓使御用掛の大鳥圭介、米国石油事業視察(明12報告書『山油編』刊行) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
3月27日 | 鉱山心得発布 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
7月 | 新潟市に石油ランプの街灯設置 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
9月13日 | *新橋・横浜間鉄道開業式(日本初の鉄道) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
9月29日 | *横浜瓦斯局、横浜にガス灯点灯(日本初の事業化) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 新潟県の平野安之丞の招きで、長崎の医師シンクルトン(英)黒川村の石油湧出地調査 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
9月1日 | 日本坑法施行 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
- | 石坂周造、米から綱掘機3台輸入、長野県善光寺ほかで日本初の機械掘実施 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 中野貫一、新潟県金津で手掘井開坑(9.20出油) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
9月 | 内務省の大鳥圭介・長野・新潟・山形地方巡歴の際石油地を調査(明8・2「信越羽巡歴報告」を提出) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
12月 | 石坂周造、米国石油事業視察 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 塩小路光孚ら、東京に礦油舎を設立 | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
- | ノーベル兄弟(スウェーデン)、ロシアのバクー油田に利権を得、近代的製油所を建設(1879ノーベル兄弟産油会社設立) | 内外石油関係・一般(*)事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | B・S・ライマン(米)・北海道から九州の主要地域を石油地質調査(明15.6調査図完成) | 内外石油関係・一般(*)事項 |