旭硝子(株)『旭硝子100年の歩み : 伝統・創造・革新. 資料編』(2007.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
8月23日 ・女子挺身勤労令公布 社会一般
8月25日 ・連合軍、パリ入城 社会一般
10月24日 ・レイテ沖海戦 社会一般
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
3月9日 ・B29、東京を大空襲 社会一般
8月6日 ・広島に原子爆弾投下 社会一般
8月9日 ・長崎に原子爆弾投下 社会一般
8月15日 ・ポツダム宣言を受諾し大平洋戦争終結、終戦 社会一般
8月 ・終戦により清津工場、昌光硝子、満州曹達、満州昌光硝子、耀華玻璃、永利化学など接収される 旭硝子関連
10月24日 ・国際連合発足 社会一般
11月 ・三菱化成工業尼崎工場で板ガラスの生産を再開 旭硝子関連
12月1日 ・第2研究所を設置(試作工場の鶴見工場からの分離独立) 旭硝子関連
12月24日 ・牧山工場工員労働組合を結成、ついで本社および各場所にも逐次労働組合を結成 旭硝子関連
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
2月17日 ・金融緊急措置会 社会一般
3月3日 ・物価統制令公布 社会一般
3月16日 ・「制限会社令」に基づき制限会社に指定される(1950年8月4日指定解除) 旭硝子関連
3月16日 ・制限公社会改正公布(指定会社の活動制限強化) 社会一般
3月30日 ・池田亀三郎取締役社長が退任し、森本貫一常務取締役が社長に就任 旭硝子関連
4月20日 ・持株会社整理委員会令公布 社会一般
5月3日 ・極東国際軍事裁判所開廷 社会一般
6月15日 ・淀川工場でDDTの製造を開始(1956年末製造停止) 旭硝子関連
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