※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 白色セメントの需要増加の為め増産設備を行ふ。 | ||
10月 | 小野田樽材株式会社合併の決議を行ひ、其期日を十二年二月一日とし、従つて資本金三十万円増加す。 | ||
11月 | 各地銀行取付に逢ふ、其数約三十行。 | ||
大正12年(1923) | - | 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 本社第三次拡張工事施行の決議を行ふ。 | ||
2月 | 樽材会社合併の結果、資本金七百八十万円となる。 | ||
9月 | 関東大震災、モラトリアム施行。 | ||
大正13年(1924) | - | 【渋沢栄一】財団法人日仏会館創立・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 第三回転窯完成火入運転開始。 | ||
7月 | 定時総会に於て、従来の株式一株の金額六十円を五十円と改め、其の結果資本金六百五十万円となつたが、更に増資し剰余を以て増資新株に算入することとし、結局資本金千三百万円となつた。 | ||
10月 | 愛知セメント株式会社を合併することとなり、其時期を大正十四年一月一日とすることに協定された◎セメント聯合会組織我社外十七社之に加盟す。 | ||
大正14年(1925) | - | 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 愛知セメント合併、同時に愛知支社を設置し、合併により資本増加して千八百万円となる。 | ||
4月 | 農林、商工両省分立。 | ||
5月 | 緒方製材所設置。 | ||
大正15年(1926) | - | 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 本社築港工事完成認可を得。 | ||
4月 | 緒方製材所買収、宇和島製材所を廃し新に島根県に製材所を設け、石見出張所とした。(後に同県益田町に移転) | ||
5月 | 東宮殿下山口県下行啓に当り、三十日御使として本多東宮侍従(正復)を御差遣、笠井社長の案内で工場の内外を視察された。 | ||
7月 | 健康保険法施行。 | ||
12月 | 小野田本社健康保険組合設立。 | ||
昭和2年(1927) | - | 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 大連支社拡張案を決す。 | ||
4月 | 金融大恐慌起り、三週間モラトリアムを布く。 | ||
5月 | 金融恐慌善後策の為め臨時議会召集、五億円の日銀特別補償案及び二億円の台銀特融補償案通過確定(平壌支社拡張を決議すると共に、平壌支社だけでは全鮮内のセメントの需要を満すに足りないので、新に川内支社工場建設案を立て、予算三百十万円を計上した。 |