※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和16年(1941) | - | 【渋沢敬三】全国貯蓄銀行協会会長に就任。第一銀行副頭取に就任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第四期受注工事高(昭和十六年一月一日―同年十二月三十一日)//土木 一七六、四〇七、〇〇〇円(九九%)//建築 三二六、〇〇〇円(一%)//計 一七六、七三三、〇〇〇円(一〇〇%) | [当社] | |
昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 長野県における日本発送電株式会社の御岳《おんたけ》発電所西野《にしの》川工区水路工事(一〇、五四〇、〇〇〇円)を請負った。 | [当社] | |
5月8日 | 選挙違反事件控訴審の言渡しに対して上告し、その後取下げた熊谷社長は特赦により罰金刑を免じられた。 | [当社] | |
6月 | 熊谷社長が日本土木建築工業組合連合会理事に就任した。 | [当社] | |
9月 | 赤岡兵一郎が入社した。 | [当社] | |
9月 | 群馬県における鉄道省の吾妻《あがつま》線第二工区土木その他工事一、二七〇、〇三〇円)を請負った。 | [当社] | |
11月25日 | 北陸土木株式会社が熊谷組の傍系会社になった。所在地金沢市、資本金十万円、取締役社長山中静雄であったが、のちに所在地を福井市に移し、資本金百万円、取締役社長に伊藤孝が就任した。 | [当社] | |
12月 | 兵庫県における神戸市の極楽谷《ごくらくだに》堰堤築造工事(一、一六七、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
- | 第五期受注工事高(昭和十七年一月一日―同年十二月三十一日)//土木 一四、一〇〇、〇〇〇円(九〇%)//建築 一、四九八、〇〇〇円(一〇%)//計 一五、五九八、〇〇〇円(一〇〇%) | [当社] | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 熊谷組の取締役のうち、牧田取締役が専務取締役に、竹内取締役、宮川取締役が常務取締役に、田辺監査役が取締役に、時岡収次が監査役にそれぞれ就任した。 | [当社] | |
3月15日 | 資本金を百八十万円増資して三百万円にした(株主数四十名)。 | [当社] | |
4月 | 北海道における陸軍航空本部の雲《くも》ヒ土第一号工事(六、三〇〇、〇〇〇円)、神奈川県における同県の相模水路取水口導水盤道鉄管路および発電所基礎放水路工事(二、三五〇、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
6月 | 福井県における日本発送電株式会社の五条方《ごじょうほう》発電所水路工事第二工区工事(七〇四、〇〇〇円)、群馬県における日本発送電株式会社の箱島《はこじま》発電所水路工事第二工区工事(一、六九一、〇〇〇円)、東京市における陸軍航空本部の成《なる》ヒ土第一号工事(三、〇〇〇、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
7月 | 長野県における日本発送電株式会社の飯島《いいじま》発電所水路工事(一二、三五〇、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
9月8日 | イタリア無条件降伏。 | [一般] | |
10月29日 | 北陸土木建築統制組合が設立され、熊谷社長が理事長に推された。 | [当社] | |
10月 | 群馬県における鉄道省の吾妻線長野原《ながのはら》駅専用側線増設土木その他工事(二、二五八、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
12月 | 長野県において陸軍航空本部の松ヒ土第一号工事(一、八〇〇、〇〇〇円)を請負った。 | [当社] | |
12月 | 熊谷会長は日華事変における功により勲四等瑞宝章を下賜された。 | [当社] | |
- | 第六期受注工事高(昭和十八年一月一日―同年十二月三十一日)//土木 三四、三六五、〇〇〇円(九八%)//建築 五七六、〇〇〇円(二%)//計 三四、九四一、〇〇〇円(一〇〇%) | [当社] |