※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | 米軍沖縄島上陸。 | [一般] | |
4月4日 | 勝元が三たび応召して金沢師団に入隊した。 | [当社] | |
4月13日 | 十三日夜の空襲により、東京の熊谷別宅は土蔵一棟を残して全焼し邸内にあった営業所も全焼した。とりあえず東京牛込喜久井町の牧田専務別宅を臨時営業所にした。 | [当社] | |
4月 | 福井県における日本国際航空工業株式会社の丹心製作所地下施設工事(三、一四八、八〇〇円)、長野県における陸軍航空本部の陸軍地下「地」号工事(一〇、〇〇〇、〇〇〇円)、山梨県における陸軍省の陸軍地下「ニ」号工事(三、八五〇、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
5月7日 | ドイツ無条件降伏。 | [一般] | |
5月25日 | 牧田専務別宅も空襲で焼失した。 | [当社] | |
5月 | 東京熊谷別宅の焼跡に数棟の半地下式バラックを設け、営業所および宿舎にした。 | [当社] | |
5月 | 東京都における三鷹航空工業株式会社の皇国二一九五工場三八工事(二、三〇〇、〇〇〇円)などを請負った。 | [当社] | |
5月 | 同月から各地の作業現場が作業隊の名で呼ばれることになった。 | [当社] | |
6月14日 | 建築技師碓井英隆が死去した。享年五十七歳であった。 | [当社] | |
7月19日 | 夜、福井市が空襲をうけ熊谷組本社は隣接の熊谷邸とともに全焼した。 | [当社] | |
8月15日 | 福井市の熊谷組本社の仮建築が始まった。 | [当社] | |
8月15日 | 第二次世界大戦終結。 | [一般] | |
9月3日 | 福井市の本社の仮建築が完成した。 | [当社] | |
9月8日 | 技術顧問鵜飼賢一が死去した。享年七十一歳であった。 | [当社] | |
9月15日 | 時岡監査役が復員した。 | [当社] | |
9月18日 | 福井地方が暴風雨のため水害を蒙った。 | [当社] | |
9月20日 | 勝元が復員した。 | [当社] | |
10月5日 | 熊谷社長が名誉職福井市長に就任した。 | [当社] | |
10月 | 熊谷組が建築部を設けた。 | [当社] |