(株)神戸製鋼所『神鋼三十年史』(1938.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月15日 監査役伯爵吉井幸蔵満期改選の結果重任す。
3月20日 台湾治政廿五年記念共進会に製糖用ロール、クラツシヤー、トロツコ用車軸及車輪並に合金見本を出品、金牌を受領す。
4月10日 大日本海事水産博覧会に参千噸級船舶用クランク・シヤフト、テール・シヤフト及合金見本並にドリル、カツター其他小道具類を出品、鋳鋼鍛鋼に名誉大賞牌、ドリル及各種カツター、リーマー、タツプに金牌を夫々受領す。
7月15日 定款第十八条を改正し常任重役として常務取締役の外に専務取締役制を設く。
7月16日 取締役依岡省輔専務取締役に就任す。
8月23日 英国エヌ・ヒングレー・エンド・ソンスとホール型無銲式錨製作販売権譲受の契約を締結す。
11月18日 大元帥陛下九州より還幸の御砌、武庫離宮に御駐輦中、当社製アドミラル型錨及ドリル各種カツター、リーマー、タツプ並に三吋砲弾セル及其断面を陳列したるに辱くも 天覧の栄を賜はりたり。
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
3月10日 臨時株主総会を開き当社資本金を五百万円に増加するの件及之に伴ふ定款一部改正の件を附議可決す。
3月30日 増資新株式第一回払込を完了、神戸区裁判所に登記を了す。
7月1日 門司市小森江に当社門司伸銅工場を設置し専ら銅、真鍮の管、棒の製造を開始す。
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
1月5日 門司伸銅工場に於て特殊鋼製造を開始す。
3月23日 新株式第二回株金払込済登記を完了す。
5月18日 島根県邑智郡矢上村の当社石見工場始めて出銑す。
7月10日 瑞西国ズルツア会社より二衝程デイゼル機関の製造権を獲得す。
7月25日 臨時株主総会に於て当社資本金を壱千万円に増加するの件及之に伴ふ定款一部変更の件を可決す。
8月1日 広島工場の製銑作業を開始す。
9月2日 第二回新株式第一回払込完了。
12月15日 門司伸銅工場に設備中の銅、真鍮鈑工場完成す。
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
1月5日 脇浜海面埋立工事略完成せるを以て当社海岸工場と称することに決定、直ちに山手工場より真鍮合金工場を移転す。
1月30日 石見工場閉鎖す。
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