(株)神戸製鋼所『神鋼三十年史』(1938.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。日本無線電信株式会社設立委員長。飛鳥山邸(曖依村荘)に青淵文庫竣工、傘寿と子爵昇格の祝いを兼ねて竜門社より贈られる。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
3月5日 米国ウエスチングハウス・エヤーブレーキ会社より獲得せるエヤー・ブレーキ製造並に販売権を日本エヤーブレーキ株式会社に譲渡す。
5月16日 製糸機械の製作を分離し新に資本金二十万円を以て紡機製造株式会社を創立す。
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】太平洋問題調査会創立・評議員会会長。社団法人日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
1月30日 監査役柳田富士松任期満了の所、再選重任す。
4月6日 伏見宮博恭王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。
7月30日 取締役依岡省輔、同田宮嘉右衛門、同鈴木岩治郎、同松田万太郎、同松尾忠二郎、監査役伯爵吉井幸蔵任期満了の所、再選重任す。
10月10日 海岸工場に新設中の線材工場竣工す。
10月17日 線材工場の作業を開始す。
11月19日 取締役松田万太郎病気の為、取締役を辞任す。
昭和2年(1927) - 【渋沢栄一】日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。航空輸送会社設立準備調査委員会会長。〔87歳〕【渋沢敬三】東洋生命取締役に就任。理化学興業監査役に就任。 渋沢関係略年譜
1月31日 取締役伊藤乙次郎任期満了の所、再選重任す。
3月30日 伏見宮博恭王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。
4月1日 合名会社鈴木商店整理を発表す。
5月25日 臨時株主総会に於て定款第二条第一項に「輸入業」を追加するの件を附議可決し、代理販売係を設置、英国メトロポリタン・ヴイツカース会社の電気製品並に外国礦油の輸入販売をなす。
5月28日 鳥羽造船工場を閉鎖し、同工場に於ける造船並に起重機製作を播磨造船工場に合併す。
7月25日 取締役辻湊、同平田保三、同三上英果任期満了、取締役三上英果再選重任し辻、平田両取締役は退任、監査役伯爵吉井幸蔵病気辞任の為、平田保三監査役に就任す。
10月22日 ソリツド・インゼクシヨン・デイゼル・エンヂンを完成す。
11月8日 当社代理販売係を廃止、メトロポリタン・ヴイツカース会社の代理権は高田商会に譲渡し、油部は日商株式会社にて継承す。
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
1月30日 監査役柳田富士松任期満了、改選の結果重任す。
2月9日 監査役柳田富士松死亡す。
3月15日 臨時株主総会を開き取締役伊藤乙次郎、同依岡省輔、同鈴木岩治郎辞任、監査役柳田富士松死亡に就き補欠選挙を行ひ、取締役(社長)に海軍主計中将永安晋次郎、同森本凖一、同遠藤寿一、監査役に子爵曾我祐邦当選、増員取締役に前田忠当選す。同総会に於て当社整理案承認、社債二千万円発行、整理に伴ふ資本金減少並に増加に依る定款一部変更を議決す。
5月7日 鳥羽電機製作工場は滋賀県知事を経て悠紀斎田用モートル謹製上納の恩命に浴す。
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