※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和8年(1933) | - | 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 | 渋沢関係略年譜 |
8月10日 | 第一回物上担保附社債残額借換の為、第二回当社物上担保附社債一千五百万円発行の件を定時株主総会に於て決議す。 | ||
9月9日 | 取締役会に於て前記担保附社債[第二回当社物上担保附社債一千五百万円]要項を決定す。 | ||
10月5日 | 前記担保附社債[第二回当社物上担保附社債一千五百万円]の発行を完了す。 | ||
10月28日 | 参謀総長閑院宮載仁親王殿下大演習御参加の御帰途当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。 | ||
12月28日 | 伏見宮博英王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。 | ||
昭和9年(1934) | - | 【渋沢敬三】日本民族学会理事就任。 | 渋沢関係略年譜 |
8月13日 | 定時株主総会に於て取締役永安晋次郎、同森本凖一、監査役子爵曾我祐邦、同佐々木義彦任期満了、取締役浜野寿太郎、同西山勉辞任に付改選並に補欠選挙の結果、取締役森本凖一、監査役子爵曾我祐邦、同佐々木義彦、新取締役に土屋行蔵、酒井重之助当選、辞任取締役の補充は一名とし池原鹿之助当選就任す。 | ||
9月21日 | 関西地方未曾有の風水害あり、当社工場中被害を蒙りたるものあり。 | ||
9月26日 | 風水害に因る電力供給回復す。 | ||
10月20日 | 高松宮宣仁親王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。 | ||
昭和10年(1935) | - | 【渋沢敬三】日本女子大学評議員就任。 | 渋沢関係略年譜 |
1月5日 | 取締役池原鹿之助死亡す。 | ||
2月12日 | 定時株主総会に於て専務取締役田宮嘉右衛門、常務取締役森本凖一、同浅田長平を会社を代表す可き取締役に選定、取締役会にて互選の結果、田宮嘉右衛門社長に就任す。 | ||
4月1日 | 小型内燃機工場竣工、高速デイゼル機関製作を開始す。 | ||
7月1日 | 瑞典ユングストローム社の自動流体変速機の特許権を買収す。 | ||
8月13日 | 定時株主総会に於て代表取締役田宮嘉右衛門、同浅田長平、取締役常盤秀二任期満了に付改選の結果、田宮、浅田両代表取締役は重任、取締役に小田島修三当選就任す。 | ||
9月30日 | 臨時株主総会に於て第二回当社物上担保附社債残額低利借換の為、第三回物上担保附社債金一千万円発行の件を決議し、取締役会に於て其要項を決議す。同総会に於て取締役二名選挙の結果、和田信房、川上義弘当選就任す。 | ||
10月4日 | 当社満洲工場地鎮祭を満洲国鞍山に於て挙行、直ちに建築に着手す。 | ||
10月21日 | 第三回物上担保附社債発行を完了す。 | ||
昭和11年(1936) | - | 【竜門社】第二次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月26日 | 定時株主総会に於て満洲国鞍山に資本金五百万円を以て株式会社満洲鋳鋼所の設立を決議す。 | ||
3月18日 | 株式会社満洲鋳鋼所の創立を完了、当社満洲工場を同社に譲渡継承せしむ。 | ||
3月30日 | 株式会社満洲鋳鋼所操業を開始す。 |