(株)神戸製鋼所『神鋼三十年史』(1938.09)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和3年(1928) - 【渋沢栄一】日本女子高等商業学校建設後援会発起人。日本航空輸送株式会社創立・創立委員長。〔88歳〕【竜門社】青淵先生米寿祝賀会を開催し、斯文会編訳『国訳論語』等を記念品として青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
6月25日 臨時株主総会に於て取締役及監査役各一名増員、選挙を行ひ取締役に坂井清、監査役に佐々木義彦当選す。
7月31日 定時株主総会に於て重役報酬年額を変更、併せて役員退職慰労金給与規程廃止の件を議決す。
8月1日 社債弐千万円発行す。
10月6日 当社資本金弐千万円を壱千万円に減少す。
10月24日 当社資金弐千万円に増加す。
11月5日 京都に開催の御大典記念大博覧会に電動機、変圧器類を出品し金牌賞を受領す。
昭和4年(1929) - 【渋沢栄一】アメリカン・ソサエティ・オブ・メカニカル・エンジニア名誉会員。中央盲人福祉協会創立・会長。〔89歳〕 渋沢関係略年譜
2月12日 定時株主総会を開き定款第二章第九条の次に株式に関する条項を追加す。
4月23日 臨時株主総会を開き取締役一名増員の件を可決、常盤秀二当選就任す。
7月2日 東久邇宮稔彦王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。
8月12日 定時株主総会に於て取締役田宮嘉右衛門、同松尾忠二郎、監査役平田保三任期満了に付再選重任、取締役二名増員選挙の結果徳田治三郎、浅田長平当選す。
11月13日 臨時株主総会を開き播磨造船工場を分離して資本金五百万円全額払込の株式会社播磨造船所を創立するの件を附議可決す。
12月12日 取締役松尾忠二郎、同三上英果取締役辞任す。
昭和5年(1930) - 【渋沢栄一】明治神宮外苑聖徳記念絵画館に壁画献納。財団法人楽翁公遺徳顕彰会会長。〔90歳〕 渋沢関係略年譜
8月2日 定時株主総会に於て監査役子爵曾我祐邦、同佐々木義彦任期満了、取締役前田忠辞任に伴ふ改選並に補欠選挙の結果、監査役二名は重任、取締役に西山勉当選す。
昭和6年(1931) - 【渋沢栄一】癩予防協会会頭・理事。11月11日永眠。〔91歳〕【渋沢敬三】東京貯蓄銀行会長に就任。 渋沢関係略年譜
8月4日 取締役坂井清、監査役平田保三辞任す。
8月12日 定時株主総会に於て取締役永安晋次郎、同森本凖一、同遠藤寿一任期満了に付改選重任に決す。
昭和7年(1932) - 【竜門社】第一次青淵先生伝記資料編纂事業を開始する。【渋沢敬三】第一銀行常務取締役就任。 渋沢関係略年譜
6月21日 賀陽宮恒憲王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。
8月12日 定時株主総会に於て取締役田宮嘉右衛門、同常+G138秀二、同徳田治三郎、同浅田長平、監査役子爵曾我祐邦、同佐々木義彦任期満了改選の結果重任し、取締役一名増員は浜野寿太郎当選就任す。
昭和8年(1933) - 【竜門社】青淵先生の遺言により渋沢家から曖依村荘を受贈する。財団法人渋沢青淵翁記念会が東京・常盤橋公園に青淵先生の銅像を建てる。 渋沢関係略年譜
1月17日 東久邇宮稔彦王殿下当社に台臨、各工場御視察の光栄に浴す。
4月10日 新設の第二線材工場作業を開始す。
8月10日 定時株主総会に於て取締役西山勉任期満了、改選の結果重任す。
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