日本鋼管(株)『日本鋼管株式会社三十年史』(1942.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正10年(1921) - 【渋沢栄一】排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 渋沢関係略年譜
10月 千五十万円に減資 吾社沿革
10月 白石元治郎氏社長を辞して大川平三郎氏代る(但し、白石氏副社長として社務統率旧の如し) 吾社沿革
11月 優先株を発行して二千百万円に増資 吾社沿革
11月 ワシントン軍縮会議開会、翌年二月五・五・三の比率決定 内外業界及一般情勢
- 此頃より内地主要鉄鋼会社の整理的減資相次ぐ 内外業界及一般情勢
大正11年(1922) - 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 渋沢関係略年譜
3月 薄板工場を小形工場に改造、建築用窓枠鋼材製造開始 吾社沿革
12月 内地鉄鋼業の大戦後に於ける大恐慌も漸く小康模様を示す、銑鉄市価六七円、丸鋼一二七円 内外業界及一般情勢
大正12年(1923) - 【渋沢栄一】日本無線電信株式会社創立委員。大震災善後会創立・副会長、帝都復興審議会委員。〔83歳〕 渋沢関係略年譜
3月 浅野造船所高炉建設に着手 吾社沿革
3月 平炉用燃料として重油を使用 吾社沿革
4月 浅野造船所船渠開渠 吾社沿革
9月 震災にて作業休止(11月まで) 吾社沿革
9月 関東大震災 内外業界及一般情勢
12月 復旧に努め一部操業開始 吾社沿革
- 関税免除により鋼材流入 内外業界及一般情勢
大正13年(1924) - 【渋沢栄一】日仏会館開館・理事長。東京女学館・館長。〔84歳〕【竜門社】財団法人竜門社となる。 渋沢関係略年譜
12月 製鉄鋼調査会設置、高橋農商務大臣を委員長として経済及合理化の大合同運動を展開 内外業界及一般情勢
- 修理完成す 吾社沿革
大正14年(1925) - 【渋沢栄一】製鉄鋼調査会委員。史籍協会評議員。浅草寺臨時営繕局顧問。〔85歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行退職。 渋沢関係略年譜
12月 鉄鋼協議会創立 内外業界及一般情勢
大正15年(1926) - 【渋沢栄一】日本太平洋問題調査会創立・評議員会長。日本放送協会創立・顧問。〔86歳〕【渋沢敬三】澁澤倉庫取締役に就任。第一銀行取締役に就任。東京貯蓄銀行取締役に就任。 渋沢関係略年譜
3月 金融界動揺 内外業界及一般情勢
3月 関税定率法中改正 内外業界及一般情勢
3月 改正製鉄奨励法公布 内外業界及一般情勢
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