※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月14日 | 日本坑法に従い借区開坑出願、一二月、仮坑区券交付 | 別子 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | フランス人技術者ラロックを雇用 | 別子 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 広瀬宰平、別子近代化方針を示す | 別子 | |
2月 | 採鉱・冶金学研究のため塩野門之助ほか一名をフランスへ派遣 | 別子 | |
7月 | 東延斜坑開さくに着手 | 別子 | |
9月 | 住友、本家第一之規則制定、「別子の鉱業ハ重大ニシテ万世不朽...」と規定 | 他事業所・住友連系・業界・一般 | |
-9日 | このころ新居浜―別子間に牛車道敷設着工一三年一一月完成) | 別子 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 西南戦争起こる | 他事業所・住友連系・業界・一般 | |
2月 | 広瀬宰平、住友家総理代人(後の総理事)に就任 | 他事業所・住友連系・業界・一般 | |
12月 | 御代島築港 | 別子 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月16日 | 弟地(筏津)銅鉱の借区開坑許可 | 別子 | |
12月 | 小足谷疎水道開さく工事一時中断 | 別子 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 本店職制・重任局職制・店方規則制定 | 他事業所・住友連系・業界・一般 | |
2月25日 | 別子鉱山職制・規則制定 | 別子 | |
- | 別子山高橋熔鉱炉竣工、洋式製錬開始(一五年中止) | 別子 | |
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
10月27日 | ダイナマイトの実地試験実施(一五年から第一通洞の開さくに本格的に使用) | 別子 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 第一通洞の開さくに着手 | 別子 | |
3月 | 住友家法制定、別子鉱山については「万世不朽ノ財本ニシテ斯業ノ盛衰ハ我が一家ノ興廃ニ関シ重大ナル他ニ比スベキモノナシ」云々と規定 | 他事業所・住友連系・業界・一般 | |
9月 | 新居浜惣開の洋式製錬所建設出願 | 別子 | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 小足谷疎水道開さく工事再開 | 別子 |