※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
8月 | 九州販売店を開設(福岡市天神町95) 大正4年九州支店と改称 昭和11年社屋を新築移転(福岡市上小山町 現福岡支店社屋)と同時に福岡支店と改称 昭和20年4月福岡事務所となり終戦にいたる | 社内事項 | |
10月 | アメリカ シアトル市のアラスカ ユーコン太平洋博覧会に出品の人体解剖模型・感応コイルが大賞・金牌を受賞 | 社内事項 | |
- | 医療用エックス線装置(わが国最初)を完成し国府台陸軍衛戌病院へ納入 | 社内事項 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 所主島津源蔵 清国各地を視察(清国訪問団京都代表) | 社内事項 | |
6月5日 | 所主島津源蔵 農商務大臣から功労賞(銀杯)を受ける | 社内事項 | |
11月16日 | 「島津製作所勤労者之墓」を京部市南禅寺天授庵に建立 島津製作所勤労者祭祀規程を制定し従業員物故者を納骨祭祀する | 社内事項 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 「サイエンス」を創刊(月刊技術機関誌) | 社内事項 | |
3月29日 | 工場法公布(大正5年9月1日施行) | 社外事項 | |
3月30日 | 電気事業法公布(10月1日施行) | 社外事項 | |
- | 大形医療用エックス線装置を完成し 日赤大津支部病院に納入 | 社内事項 | |
- | 電気計器の製造を開始 | 社内事項 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月1日 | 中華民国成立 | 社外事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | 明治天皇崩御 嘉仁親王践祚 大正と改元 | 社外事項 | |
10月 | 蓄電池工場を開設(京都市上京区新町今出川上ル) | 社内事項 | |
11月2日 | 〓[○+十](島津家の家紋)を商標として登録 | 社内事項 | |
1912年 | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | テーラ 科学的管理法を提唱 | 社外事項 | |
大正2年(1913) | - | 【渋沢栄一】伯剌西爾拓植株式会社創立準備委員。日本結核予防協会創立・副会頭(後に会頭)。中国興業株式会社(後の中日実業)創立、相談役。日本実業協会創立・会長。帝国飛行協会成立、評議員。〔73歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月18日 | 所主島津源蔵 欧米各地の機械・電気諸事業の視察に出発(11月16日帰朝) | 社内事項 | |
10月12日 | 東京工場を開設(東京市神田区美土代町 現東京支社所在地) | 社内事項 | |
- | クーリッジ エックス線管球(クーリッジ管)を発明 | 社外事項 | |
大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月28日 | オーストリア セルビアに宣戦(第1次世界大戦おこる 8月23日日本対独宣戦布告) | 社外事項 |