※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正3年(1914) | - | 【渋沢栄一】東北九州災害救済会創立、副総裁。合資会社国際通信社設立、相談役。日中経済界の提携のため中国訪問。財団法人国産奨励会設立準備委員総代、顧問。〔74歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大正博覧会に出品した医療用エックス線装置が他の島津出品物とともに金牌を受賞 | 社内事項 | |
大正4年(1915) | - | 【渋沢栄一】帝国蚕糸株式会社相談役。渋沢同族株式会社設立、社長は敬三。パナマ・太平洋万国博覧会視察のため渡米。ウイルソン大統領と会見。〔75歳〕【渋沢敬三】渋沢同族株式会社設立、同社長就任。 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 科学実験展示会を開催(京都市議事堂を借り受ける)し 大典後の式場拝観に入洛する学術関係者を迎える | 社内事項 | |
11月 | 大正天皇のお召列車点灯用蓄電池を製作 | 社内事項 | |
- | 光学測定器(読取顕微鏡)の製造を開始 | 社内事項 | |
- | アインシュタイン一般相対性理論を発表 | 社外事項 | |
- | 世界大戦による好況 株式相場高騰 この景気は大正7年ころまでつづく | 社外事項 | |
大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
11月26日 | 所主島津源蔵 緑綬褒章を受ける | 社内事項 | |
- | 3,600ワット大蓄電池 海軍省台湾鳳山に納入 | 社内事項 | |
- | 電気測定器(直流電位差計)の製造を開始 | 社内事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月17日 | 日本電池株式会社を設立 (蓄電池工場を分離) 蓄電池の基本特許「易反応性亜酸化鉛粉製造法」(社長島津源蔵発明)は大正11年2月13日特許登録される | 社内事項 | |
9月1日 | 株式会社島津製作所を設立(改組 資本金200万円払込100万円)//取締役社長島津源蔵 常務取締役島津源吉・島津常三郎就任 | 社内事項 | |
11月7日 | ソビエト政権成立 | 社外事項 | |
- | 三条工場敷地約3万3,000m2<1万坪>を買収(京都府葛野郡朱雀野村字桑原 現京都市中京区西ノ京桑原町 大正7年京都市に編入) | 社内事項 | |
- | 教育用理化学器械・標本 全国の過半を供給 エックス線装置独占的地位を占める | 社内事項 | |
- | 交流式エックス線装置を初めてアルゼンチンに輸出 | 社内事項 | |
- | 材料試験機(繊維・セメント試験機)の製造を開始 | 社内事項 | |
大正7年(1918) | - | 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 政府制定「師範学校および中学校理化学生徒実験要目」に応じ 実験器械器具を創作販売 | 社内事項 | |
8月2日 | 日本 シベリア出兵宣言 | 社外事項 | |
11月11日 | ドイツ 対連合国休戦条約に調印 | 社外事項 | |
- | はかり(化学天びん)の製造を開始 | 社内事項 |