新三菱重工業(株)『新三菱重工業株式会社史』(1967.06)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和18年(1943) - 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 渋沢関係略年譜
2月8日 株式会社三菱社、株式会社三菱本社と改称 社内
4月1日 三原車輌製作所新設 社内
4月27日 三菱重工業第5代会長に郷古潔、第2代社長に元良信太郎就任 社内
7月1日 横浜船渠を横浜造船所と改称 社内
7月1日 川崎機器製作所新設 社内
9月1日 水島航空機製作所新設 社内
10月31日 軍需会社法公布 一般
11月1日 名古屋発動機研究所新設 社内
12月1日 日立造船株式会社彦島造船所を買収し、彦島造船所と合併のうえ下関造船所と改称 社内
昭和19年(1944) - 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 渋沢関係略年譜
1月1日 名古屋機器製作所、京都機器製作所、熊本航空機製作所新設 社内
1月10日 若松造船所新設 社内
1月17日 軍需会社法による軍需会社に指定される 社内
3月1日 静岡発動機製作所新設 社内
3月15日 広島造船所、広島機械製作所新設 社内
5月1日 茨城機器製作所新設 社内
7月1日 京都発動機製作所新設 社内
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
2月1日 第一製作所(松本)、第三製作所(鈴鹿)、第五製作所(大府)、第十一製作所(大門)、第十六製作所(大垣)新設 社内
2月1日 名古屋発動機研究所を第二製作所に、名古屋発動機製作所を第四製作所に、静岡発動機製作所を第六製作所に、水島航空機製作所を第七製作所に、京都発動機製作所を第八製作所に、熊本航空機製作所を第九製作所に、名古屋金属工業所を第十製作所に、名古屋機器製作所を第十二製作所に、京都機器製作所を第十四製作所にそれぞれ改称 社内
5月1日 第十八製作所(福井)新設 社内
5月7日 ドイツ無条件降伏 一般
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