三菱重工業(株)『三菱重工業株式会社史』(1956.08)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
昭和20年(1945) - 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 渋沢関係略年譜
10月 相談役の制を設く 114[p] 総務人事
11月15日 広島機械製作所を広島造船所に合併 第2及び第8製作所を第14製作所と合併 339・335[p] 労務工場
11月15日 第7製作所は水島機器製作所 第14製作所は京都機器製作所 第20製作所は広島工作機械製作所と夫々改称 327・335・354[p] 労務工場
11月15日 次の各工場を閉鎖//江南造船所 昭南造船所 長崎兵器製作所 第1 第3 第4 第5 第6 第9 第10 第11 第12 第16 第22の各製作所 労務工場
11月15日 臨時整理事務処理の為臨時整理事務所を置く//臨時江南造船所 臨時昭南造船所 臨時兵器工場 臨時航空機工場 臨時発動機工場の各整理事務所 労務工場
11月15日 臨時航空機工場整理事務所に松本 鈴鹿 名古屋 長野 熊本 大門の各出張所を置く 臨時発動機工場整理事務所に大幸 静岡 岩塚 枇杷島 大垣 挙母の各出張所を置く 365[p] 労務工場
11月 長崎造船所 第13代所長に武藤美一就任//横浜造船所 第4代所長に李家孝就任//広島造船所 第3代所長に丹羽周夫就任//京都機器製作所 第4代所長に桜井俊記就任//川崎機器製作所 第4代所長に河野文彦就任//三原車輌製作所 第2代所長に長田清治郎就任 労務工場
12月2日 三菱本社々長岩崎小弥太逝去 一般
12月 東京機器製作所 当社最初の労働組合結成 245[p] 労務工場
12月 下関造船所 救難船赤間丸建造 492[p] 造船
- 東京機器製作所 高速魚雷艇用ZC-707型高速ディーゼル機関製作 540[p] 造機
- 神戸造船所 神奈川県相模発電所註文15,000KW竪軸フランシス水車製作 造機
昭和21年(1946) - 【竜門社】財団法人竜門社、財団法人渋沢青淵翁記念会が合同して渋沢青淵記念財団竜門社となる。【渋沢敬三】公職を追放さる。本邸は大蔵省に官邸として貸与、のち財産税にて敷地とともに物納。 渋沢関係略年譜
1月20日 航空機関係15工場賠償工場に指定 700[p] 戦後
1月 当社本店所在の三菱本館 進駐軍に接収 本店各部は三菱銀行本店その他に移転 一般
1月 長崎及び神戸造船所 海難救助作業を再開 490~2[p] 造船
3月16日 勅令「会社の解散の制限等に関する件」により当社は制限会社に指定 703[p] 戦後
3月 下関造船所 第10代所長及び若松造船所 第3代所長に島本信興兼任就任 労務工場
4月25日 三菱重工業労働組合連合会組織 245[p] 労務工場
4月 東京機器製作所 転換生産品としてトラクタ製作 573[p] 造機
5月28日 航空機関係7工場賠償工場に追加指定 701[p] 戦後
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