※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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昭和17年(1942) | - | 【渋沢敬三】日本銀行(以下、日銀)副総裁就任、これに伴い第一銀行など辞任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 従業員の公募により「社是」を「至誠、和協、報恩」と決定。以後朝会で唱和する。 | 会社概況 | |
2月 | 高知県南国市御免町に、資本金300万円で、高知舶用内燃機株式会社を設立。 | 会社概況 | |
4月29日 | 東京市京橋区槙町1丁目1番地に、東京支店を移転。 | 会社概況 | |
4月 | DL型(25馬力)、2DL型(50馬力)の製造を開始。 | 生産エンジン | |
5月 | 海軍標準型6KWディーゼル発電機N10型(10馬力)および3KW空気圧縮ポンプN5型(5馬力)ならびに海軍型(60馬力)石油発動機の製造を開始。 | 生産エンジン | |
8月 | 滋賀県坂田郡長浜町字船山69番地(現在長浜市船山町69番地)に敷地47,666.67平方米を求め、長浜工場を建設する。 | 会社概況 | |
8月 | S2.5型(2.5馬力)、S6型(6馬力)の製造を開始。 | 生産エンジン | |
昭和18年(1943) | - | 【渋沢敬三】大東亜会議に来日のスバス・チャンドラ・ボース、約4週間綱町邸に逗留。 | 渋沢関係略年譜 |
4月11日 | 尼崎市所在の本社を大阪市北区茶屋町62番地に移し、同時に尼崎市所在工場を尼崎製作所、大阪市所在工場を大阪製作所、長浜市所在工場を長浜製作所と改称。 | 会社概況 | |
5月 | DH型(12馬力)の製造を開始。 | 生産エンジン | |
6月 | 未払込み資本金150万円の払込みを完了。 | 会社概況 | |
7月 | 高松宮宣仁親王、長浜製作所に台臨される。 | 会社概況 | |
7月 | 石原産業株式会社と合弁で、資本金1,000万円で日本造機株式会社を設立。当社が経営に当る。 | 会社概況 | |
昭和19年(1944) | - | 【竜門社】機関誌『竜門雑誌』669号を発行、以後休刊する。岩波書店より『渋沢栄一伝記資料』第1巻が刊行される。【渋沢敬三】結城日銀総裁辞任につき、日銀総裁に就任。総裁時代一度も東京を離れず。 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 500万円(内払込み250万円)を増資、資本金を総額1,300万円とする。 | 会社概況 | |
1月 | 軍需会社法施行のため海軍大臣から軍需会社に指定されるとともに、生産責任者の使命をうける。 | 会社概況 | |
7月 | 株式会社住吉鋳工所を買収。 | 会社概況 | |
9月 | 海軍特殊兵器部品の製作を開始。 | 会社概況 | |
12月 | 大阪工場の機械設備を、空襲に具えて池田市伏尾の久安寺境内へ疎開。これは戦後長浜工場機械設備の主体となった。 | 会社概況 | |
昭和20年(1945) | - | 【竜門社】曖依村荘を政府に寄贈する。空襲により曖依村荘内の建物の多くを焼失する。【渋沢敬三】幣原喜重郎より組閣本部に招かる。新木、山際正道と相談、大蔵大臣受諾。親任。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 未払込み資本金250万円の払込みを完了。 | 会社概況 | |
4月 | 海軍制式51号T6型150馬力ディーゼルエンジンの注文を受け製造に着手したが終戦のため未完成。 | 生産エンジン | |
5月25日 | 東京空襲により東京支店焼失。バラックを建て東京支店仮事務所として再出発。 | 会社概況 |