※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 東京遷都 東京横浜間に電信開通 | 社外事項 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪神戸間に電信開通 | 社外事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 新橋横浜間に鉄道開通 | 社外事項 | |
明治7年(1874) | - | 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 大阪神戸間に鉄道開通 | 社外事項 | |
- | 東京長崎間に電信開通 | 社外事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月11日 | 田中久重 東京新橋南金六町に工場を創設、主として電信機を製作 | 社内事項(芝浦製作所関係事項) | |
- | グラハム=ベル 電話を発明 | 社外事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井銀行・三井物産両社設立 | 社外事項 | |
10月30日 | 石川島平野造船所設立 | 社外事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月5日 | 京都神戸間に鉄道開通 | 社外事項 | |
8月21日 | 第1回内国勧業博覧会開催 | 社外事項 | |
11月 | アメリカから電話機渡来、京浜間で試用 | 社外事項 | |
- | トーマス=エジソン蓄音器を発明 | 社外事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月15日 | 電信中央局開局式にアーク灯をはじめて点灯 | 社外事項 | |
4月 | 東京築地に川崎造船所設立 | 社外事項 | |
- | 工部省の電信機自給計画により、工場設備の大部分を電信寮製機所に買い上げられ、従業員は同所職員となる | 社内事項(芝浦製作所関係事項) | |
- | イギリス人スワン 炭素繊条電球を発明 | 社外事項 | |
明治12年(1879) | - | 【渋沢栄一】東京海上保険会社創立。北豊島郡西ケ原村(現在の東京都北区西ケ原)に別荘(飛鳥山邸、翌年曖依村荘と命名)を構える。グラント将軍(元アメリカ大統領)歓迎会(東京接待委員総代)。養育院院長。〔39歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月29日 | 万国電信条約に加盟 | 社外事項 | |
12月12日 | 工部省製機掛で、はじめてモールス印字機10台を製作 | 社外事項 | |
- | エジソン 炭素電球を完成 | 社外事項 |