※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治13年(1880) | - | 【渋沢栄一】博愛社社員(後に日本赤十字社常議員)。〔40歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 松方正義 紙幣整理に着手、以後明治18年ごろまで不況つづく | 社外事項 | |
明治14年(1881) | - | 【渋沢栄一】ハワイ国皇帝ディヴィド・カラカウァ飛鳥山訪問。東京大学より文学部「日本財政論」の講師を嘱託される。〔41歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月7日 | 農商務省設置 | 社外事項 | |
11月7日 | 田中久重 死去 | 社内事項(芝浦製作所関係事項) | |
- | 沖牙太郎 明工舎を設立 | 社外事項 | |
明治15年(1882) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社創立。千代夫人死去。〔42歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月27日 | 日本銀行条例制定(10月開業) | 社外事項 | |
7月 | 東京電灯 営業宣伝に東京銀座で3000燭光のアーク灯を連夜点灯 | 社外事項 | |
11月 | 二代田中久重 芝金杉新浜町1番地に工場を建設、田中製造所と称す | 社内事項(芝浦製作所関係事項) | |
明治16年(1883) | - | 【渋沢栄一】大阪紡績会社相談役、同社工場落成。 東京電燈会社創立(後に委員)。伊藤兼子(かね子)と再婚。〔43歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月15日 | 東京電灯会社設立(資本金20万円明19.7.5開業、26.9東京電灯株式会社と改称、35.8品川電灯会社を合併、38.9深川電灯会社を合併、40.7東京電力会社を合併) | 社外事項 | |
明治17年(1884) | - | 【渋沢栄一】東京商業学校(前、商法講習所)校務商議委員。磐城炭礦社設立・会長。日本鉄道会社理事委員(後に日本鉄道株式会社取締役)。〔44歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月25日 | 上野高崎間鉄道開通式にあたり、上野駅に白熱灯24個とアーク灯1個を点灯 | 社外事項 | |
7月7日 | 工部局長崎造船所を三菱に貸下げ、長崎造船所と改称 | 社外事項 | |
8月17日 | 藤岡市助 電気業研究のためアメリカへ出発 | 社外事項 | |
明治18年(1885) | - | 【渋沢栄一】ジャパン・ブリュワリー・コンパニー・リミテッド設立(後に理事)。日本郵船会社創立(後に日本郵船株式会社取締役)。東京瓦斯会社創立・委員長(後に東京瓦斯株式会社取締役会長)。〔45歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 奥村電機商会設立 | 社外事項 | |
11月29日 | 東京銀行集会所開所式に40個の白熱電灯を点灯 | 社外事項 | |
明治19年(1886) | - | 【渋沢栄一】「竜門社」創立。東京電灯会社開業(後に委員)。〔46歳〕【竜門社】竜門社が東京・深川福住町の青淵先生邸内に創立する。機関誌『竜門雑誌』創刊号を刊行。 | 渋沢関係略年譜 |
7月5日 | 一般景気好転し、企業熱さかん | 社外事項 | |
12月 | 二代田中久重 ヨーロッパの機械工業を視察 | 社内事項(芝浦製作所関係事項) | |
明治20年(1887) | - | 【渋沢栄一】東京製綱会社発起委員(後に取締役会長)。東京人造肥料会社創立委員(後に取締役会長)。京都織物会社創立、相談役。日本煉瓦製造会社創立・理事(後に日本煉瓦製造株式会社取締役会長)。東京ホテル創立・理事長(後に帝国ホテル株式会社取締役会長)。北海道製麻会社・相談役。〔47歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月22日 | 東京電灯会社 鹿鳴館にはじめて営業用電灯を点灯 | 社外事項 | |
11月29日 | 東京電灯 日本橋付近に白熱電灯10基を点灯(一般配電の最初) | 社外事項 | |
12月 | 当所工場の原動機4台85馬力、職工数683名、わが国第一の民間工場と称せられた | 社内事項(芝浦製作所関係事項) | |
明治21年(1888) | - | 【渋沢栄一】札幌麦酒会社創立・発起人総代(後に札幌麦酒株式会社取締役会長)。品川硝子会社設立、相談役。東京女学館開校・会計監督(後に館長)。兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)の新邸に転居。〔48歳〕【竜門社】出版条例の改正により『竜門雑誌』1号を改めて発行する。第1回秋季総集会を曖依村荘にて開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 鐘淵紡績会社設立 | 社外事項 | |
5月10日 | 日本石油会社設立 | 社外事項 |