※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月28日 | 東京遷都 | 社外事項 | |
12月25日 | 東京・横浜間に電信開通 | 社外事項 | |
明治5年(1872) | - | 【渋沢栄一】大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。〔32歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月12日 | 新橋・横浜間に鉄道開通 | 社外事項 | |
明治6年(1873) | - | 【渋沢栄一】抄紙会社創立(後に王子製紙株式会社取締役会長)。大蔵省を辞める。海運橋兜町(現在の東京都中央区日本橋兜町)に転居。第一国立銀行創立・総監役。〔33歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月24日 | s[株式会社芝浦製作所] 田中久重 九州久留米から上京 | 社内事項 | |
11月 | s[株式会社芝浦製作所] 芝西久保神谷町に移転、ひきつづいてモールス電信機50台を製作 | 社内事項 | |
- | s[株式会社芝浦製作所] 麻布大泉寺に仮寓し、工部省注文のヘンリ電信機10台を試作 | 社内事項 | |
- | 工部省電信寮に製機所設置 | 社外事項 | |
明治8年(1875) | - | 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月11日 | s[株式会社芝浦製作所] 東京新橋南金六町に店舗と工場を設け、主として電信機を製作〔これをもって当社の創業とする〕 | 社内事項 | |
- | s[株式会社芝浦製作所] 店頭に「万般の機械考案の依頼に応ず」の看板を掲げ、一般の注文も受ける | 社内事項 | |
- | s[株式会社芝浦製作所] 工部省の指定工場となる | 社内事項 | |
- | アメリカ人ベル 電話を発明 | 社外事項 | |
明治9年(1876) | - | 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 三井銀行・三井物産両社設立 | 社外事項 | |
10月30日 | 石川島平野造船所設立 | 社外事項 | |
11月 | s[株式会社芝浦製作所] モールス電信機ほか各種機械16種を博物館に出品 | 社内事項 | |
明治10年(1877) | - | 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
8月21日 | 第1回内国勧業博覧会開催 | 社外事項 | |
11月 | アメリカから電話機渡来、東京・横浜間で試用 | 社外事項 | |
- | アメリカ人エジソン 蓄音機を発明 | 社外事項 | |
明治11年(1878) | - | 【渋沢栄一】東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。〔38歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月25日 | 電信中央局開局式でアーク灯を初めて点灯 | 社外事項 | |
- | s[株式会社芝浦製作所] 工部省の電信機自給計画により、工場設備の大部分を電信局製機所に買い上げられ、以後、一般機械・電気通信機を製作 | 社内事項 | |
- | イギリス人スワン 炭素繊条電球を発明 | 社外事項 |