※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治22年(1889) | - | 【渋沢栄一】石川島造船所創立・委員(後に株式会社東京石川島造船所取締役会長)。門司築港会社創立・相談役。田川採炭株式会社創立・相談役。三重紡績株式会社相談役。北海道炭礦鉄道会社常議員〔49歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月11日 | 大日本帝国憲法発布 | 社外事項 | |
7月1日 | 東海道線 新橋・神戸間全通 | 社外事項 | |
7月 | 京都電灯会社開業、その後各地に電灯会社設立さかんとなる | 社外事項 | |
- | T[東京電気株式会社] 藤岡市助、三宅順祐らと京橋新肴町の東京電灯社宅の一室で電球の試作を開始 | 社内事項 | |
明治23年(1890) | - | 【渋沢栄一】貴族院議員に任ぜられる。三本木渋沢農場開墾開始。〔50歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月1日 | T[東京電気株式会社] 藤岡市助、三吉正一により東京京橋鎗屋町に電球の製造販売を目的とする合資会社白熱舎を創設、建物2棟延約76m2、従業員7~8名、出資総額2,000円〔軽電部門の前身、東京電気株式会社の草創〕 | 社内事項 | |
8月12日 | T[東京電気株式会社] 白熱電球12個の製造に成功(わが国初) | 社内事項 | |
11月25日 | 第1回帝国議会召集 | 社外事項 | |
12月26日 | 東京・横浜間に電話交換業務開始 | 社外事項 | |
- | 経済恐慌起こる | 社外事項 | |
明治24年(1891) | - | 【渋沢栄一】日本製帽会社相談役。東京交換所創立・委員長。東京商業会議所会頭。〔51歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月24日 | 度量衡法公布 | 社外事項 | |
明治25年(1892) | - | 【渋沢栄一】株式会社東京貯蓄銀行創立・取締役(後に取締役会長)。元日本製帽を買収し東京帽子株式会社設立・取締役会長。〔52歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月 | 琵琶湖疏水を利用し蹴上発電所を建設(わが国初の水力発電所) | 社外事項 | |
6月 | T[東京電気株式会社] 工場手狭となり京橋南鍋町に移転 | 社内事項 | |
6月 | T[東京電気株式会社] 海軍省注文の信号灯用小形特殊電球を製造 | 社内事項 | |
6月 | T[東京電気株式会社] 電話交換用豆ランプを製造 | 社内事項 | |
6月 | 三井鉱山合資会社設立 | 社外事項 | |
- | エジソン・ゼネラル社とトムソン・ハウストン社が合併して、GE社を設立 | 社外事項 | |
明治26年(1893) | - | 【渋沢栄一】喜賓会創立・幹事長。東京人造肥料株式会社取締役会長。株式会社東京石川島造船所取締役会長。王子製紙株式会社取締役会長。帝国ホテル株式会社取締役会長。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 三井鉱山 合名会社に改組 | 社外事項 | |
7月 | 三菱合資会社設立 | 社外事項 | |
9月 | (株)石川島造船所設立 | 社外事項 | |
11月17日 | s[株式会社芝浦製作所] 海軍造兵廠の完成により注文激減、経営苦境に陥り、三井銀行が田中製造所を継承、芝浦製作所と改称、藤山雷太 主任に就任 | 社内事項 |