※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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慶応3年(1867) | - | 【渋沢栄一】将軍名代・徳川昭武に従ってフランスへ出立、パリ万国博覧会などを視察。〔27歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月9日 | 明治天皇、前年末急逝された孝明天皇のあとをつぎ践祚。 | 社会・風俗 | |
10月14日 | 大政奉還の上表を将軍慶喜から朝廷に提出。 | 社会・風俗 | |
12月9日 | 王政復古。総裁・議定・参与の三職を置く。 | 社会・風俗 | |
- | (この年)西村勝三、銃砲店を神田弁慶橋から日本橋本材木町に移す。 | 靴の周辺 | |
- | (この年)大倉喜八郎、銃砲店を神田和泉橋に開業。 | 靴の周辺 | |
慶応4年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月14日 | 五箇条の誓文を天皇が公卿・諸侯の前で発布。 | 社会・風俗 | |
4月11日 | 江戸城明け渡し(徳川慶喜が水戸へ退隠)。 | 社会・風俗 | |
5月15日 | 上野戦争(彰義隊vs官軍)の直前、銃砲売買に関し、西村勝三、大倉喜八郎ともに引致された事件がある。 | 靴の周辺 | |
5月15日 | 上野戦争(大村益次郎の指揮で彰義隊を討伐)。 | 社会・風俗 | |
7月17日 | 江戸を「東京」とする旨の詔書が出る。 | 社会・風俗 | |
明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
9月8日 | 「明治」と改元(一世一元の始まり)。 | 社会・風俗 | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | (この年)西村勝三は、横浜の「伊勢勝商店」を通じ外国商館との直接取引を開始。一方、官軍大総督府からの御用達も...。 | 靴の周辺 | |
- | (この年)大倉喜八郎は銃砲店を日本橋十軒店に移す。 | 靴の周辺 | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
5月5日 | 佐倉藩が製靴業を大参事・西村茂樹指導で士族授産事業。 | 靴の周辺 | |
5月18日 | 函館の五稜廓も開城し、戊辰戦争が終結する。 | 社会・風俗 | |
6月17日 | 諸侯からあいつぎ出される版籍奉還の願いを許す。 | 社会・風俗 | |
7月 | 西村勝三は、大村益次郎から軍靴の納入を依頼され、旧・横浜運上所(税関)在庫の洋式靴を一括購入し上納。量的にはまにあったが、足型の差で実用には難。(9月まで) | 靴の周辺 | |
9月4日 | 兵部大輔・大村益次郎、京都・三条木屋町で襲撃される。 | 社会・風俗 | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月3日 | 「大教宣布」(惟神・教育理念の宣言)。 | 社会・風俗 | |
3月15日 | 西村勝三、「伊勢勝(いせかつ)造靴場」を築地入船町に開く。 | 靴の周辺 |