日本製靴(株)『Steps : 日本製靴の歩み 1902~1989』(1990.01)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治7年(1874) - 【渋沢栄一】東京府知事より東京会議所共有金取締を嘱託される(後に東京会議所会頭)。〔34歳〕 渋沢関係略年譜
9月 「弾水町組」は三井組の資本を導入、「弾北岡組」と改称。 靴の周辺
11月2日 『読売新聞』が創刊。 社会・風俗
11月 西村勝三、伊勢勝第二製靴工場を築地1丁目に。 靴の周辺
- (この年)陸軍省、一方的に前命を改め、靴の年間発注額をほぼ4分の1までに大幅に削減し、影響甚大。 靴の周辺
- (この年)大倉喜八郎の大倉組商会、ロンドン支店を設置。 靴の周辺
明治8年(1875) - 【渋沢栄一】第一国立銀行頭取(後に株式会社第一銀行頭取)。商法講習所創立を支援。〔35歳〕 渋沢関係略年譜
2月13日 平民にも必ず姓(姓不詳なら創氏してでも...)。 社会・風俗
5月7日 千島・樺太交換条約にペテルブルグで調印。 社会・風俗
- (この年)西村勝三、銀座に靴店を開く。 靴の周辺
- (この年)オランダ出身の靴工・レマルシャン、独立し、銀座に靴店を開業。 靴の周辺
明治9年(1876) - 【渋沢栄一】東京府瓦斯局事務長。養育院事務長。深川福住町(現在の東京都江東区永代)に転居。〔36歳〕 渋沢関係略年譜
2月4日 海軍武官・高等文官の社交機関「水交社」開く。 社会・風俗
2月15日 陸軍武官・高等文官の社交機関「偕行社」開所。 社会・風俗
2月 岩井信六、19歳の若さで北海道に渡り、最初の靴工として製靴技術を広める(札幌農学校前に開業)。 靴の周辺
2月 藤田伝三郎、ドイツ人技師ハイドケンペルを迎え、大阪・本田に靴工場を起こす(明治10年4月説も)。 靴の周辺
8月21日 府県の大廃合が行われ、3府35県に。 社会・風俗
12月1日 『中外物価新報』(『日本経済新聞』の前身)が創刊。 社会・風俗
- (この年)大倉喜八郎、朝鮮に渡航して、同国との貿易の端緒を開く。 靴の周辺
明治10年(1877) - 【渋沢栄一】択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。王子西ヶ原に別荘を建てはじめる。〔37歳〕 渋沢関係略年譜
1月4日 イワイ靴店、札幌に岩井製靴場創業。 靴の周辺
1月30日 鹿児島・私学校生徒の火薬庫襲撃で西南戦争に発展する。 社会・風俗
4月12日 東京開成学校と東京医学校を合併、東京大学に。 社会・風俗
4月 西村勝三、伊勢勝造靴場の資金難克服のため、「依田西村組」を設立して、事業を続行。 靴の周辺
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