※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 貨幣法公布、金本位制確立 | 社会の動き | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 工場組織への第一歩として足袋製造工場開設(堺市甲斐町東一丁) | 福助のあゆみ | |
- | 葉たばこの専売制を実施 | 社会の動き | |
- | 南海鉄道、難波~紀ノ川間開業 | 社会の動き | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 辻本豊三郎 福松の長女ますと結婚、店の経営に参画 | 福助のあゆみ | |
- | 神戸市にペスト流行 衛生思想普及宣伝とタイアップして夏足袋発売 | 福助のあゆみ | |
- | 阪堺鉄道沿線に野立看板を建てる | 福助のあゆみ | |
- | 著作権法公布 | 社会の動き | |
- | 東京~大阪間長距離電話開通 | 社会の動き | |
- | 年賀郵便の特別取扱制はじまる | 社会の動き | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 足袋製造工場を増設し二工場となる(堺市熊野町《ゆやちよう》東二丁) | 福助のあゆみ | |
- | 〓[○+福]商標訴訟事件で敗訴 | 福助のあゆみ | |
- | 〓[福助人形]・「福助」を商標として登録 | 福助のあゆみ | |
- | 馬上広告を行う | 福助のあゆみ | |
- | 北清事変起こる | 社会の動き | |
- | 治安警察法公布 | 社会の動き | |
- | 大阪梅田に「自動公衆電話」設置 | 社会の動き | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 辻本豊三郎 経営者となる | 福助のあゆみ | |
- | 足袋縫製にアメリカ製シンガーミシンを採用 | 福助のあゆみ | |
- | ネル裏地起毛機を設置 | 福助のあゆみ |