※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 洋式簿記を採用 | 福助のあゆみ | |
- | 日露講和条約調印 | 社会の動き | |
- | 大阪瓦斯開業 | 社会の動き | |
明治39年(1906) | - | 【渋沢栄一】大日本麦酒株式会社設立、取締役。南満州鉄道株式会社設立委員。京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。大日本製糖株式会社設立、相談役。名古屋電力株式会社創立・相談役。東海倉庫株式会社創立・相談役。明治製糖創立・相談役。〔66歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 冬物足袋の予約販売制度を採用 | 福助のあゆみ | |
- | 賞与金を始めて[初めて]支給 | 福助のあゆみ | |
- | 鉄道国有法公布 | 社会の動き | |
- | 豊田式織機(株)設立 | 社会の動き | |
明治40年(1907) | - | 【渋沢栄一】帝国劇場会社創立・取締役会長。品川白煉瓦株式会社相談役。日清汽船株式会社創立、取締役。日本皮革株式会社創立、相談役。合資会社沖商会有限責任社員・監査役。帝国製麻株式会社創立、相談役。東明火災海上保険株式会社創立、取締役。〔67歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 販路拡張のため長崎市で宣伝旗行列を行う | 福助のあゆみ | |
- | 小学校令改正(義務教育六年) | 社会の動き | |
- | 邦文タイプライター発売 | 社会の動き | |
明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 「一市一町一店主義」の販売基本方針決定 | 福助のあゆみ | |
- | 店則制定 | 福助のあゆみ | |
- | 辻本福松「家訓十箇条」を制定 | 福助のあゆみ | |
- | 全従業員慰安会を奈良公園で催す | 福助のあゆみ | |
- | 救世軍、慈善鍋募金はじめる | 社会の動き | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 辻本福松死去 堺市南宗寺に葬る | 福助のあゆみ | |
- | 縫製用ミシン・裁断機を動力化 | 福助のあゆみ | |
- | 第六回全国製産品博覧会 銀牌 受賞 | 福助のあゆみ | |
- | 京都・岐阜地方に販路開拓 | 福助のあゆみ | |
- | 特許・意匠・商標・実用新案法改正公布 | 社会の動き |