福助(株)『フクスケ100年のあゆみ』(1984.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
大正5年(1916) - 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 渋沢関係略年譜
- 社員福利厚生のため基金を拠出し「養安会」設立 福助のあゆみ
- 全国一の大気球広告を行う 福助のあゆみ
- 本格的新聞広告を採用 福助のあゆみ
- 工場法施行 社会の動き
大正6年(1917) - 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 渋沢関係略年譜
- 皇太子殿下ご来堺 製品を献上 福助のあゆみ
- 「コハゼ受糸通し改良機」採用(淀常式) 福助のあゆみ
- 足袋の「文廻し(サイズ別価格制)」廃止 全国均一価格実施 福助のあゆみ
- 福助足袋東京営業所設置(東京市日本橋区田所町) 福助のあゆみ
- 満州方面へ進出(現中国東北部) 福助のあゆみ
- ホーロー製軒吊り丸看板、全国販売店に掲げる 福助のあゆみ
- 浅草オペラはじまる 社会の動き
- 金・銀の輸出禁止 社会の動き
- 坂田三吉八段、関根金次郎八段に勝つ 社会の動き
大正7年(1918) - 【渋沢栄一】渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。〔78歳〕 渋沢関係略年譜
- 「名実共に日本一」を宣伝標語とする 福助のあゆみ
- 東京市電三〇〇台に車内広告を行う 福助のあゆみ
- 各地に米騒動おこる 社会の動き
- 第一次世界大戦終わる 社会の動き
大正8年(1919) - 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 渋沢関係略年譜
- 現在地に工場建設開始 福助のあゆみ
- 私立女子実業補修学校開校(校長 辻本豊三郎) 福助のあゆみ
- 福助足袋社員養成所開設 福助のあゆみ
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