※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正8年(1919) | - | 【渋沢栄一】アメリカ合衆国政府より日米船鉄交換争議の仲裁人を委嘱される。財団法人協調会創立・副会長。〔79歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 福助足袋(株)設立(社長辻本豊三郎 資本金一五〇万円) | 福助のあゆみ | |
- | 東京支店設置(東京市日本橋区小伝馬町三丁目) | 福助のあゆみ | |
- | 「福助足袋株式会社」の書体決定(永坂石埭筆) | 福助のあゆみ | |
- | 堺市政実施三〇周年記念関西府県物産共進会 名誉金牌 受賞 | 福助のあゆみ | |
- | 四国地方に販路開拓 | 福助のあゆみ | |
- | 足袋製造年間一〇〇〇万足突破 | 福助のあゆみ | |
- | 東京市バス営業開始 | 社会の動き | |
- | パリ講和会議調印 | 社会の動き | |
大正9年(1920) | - | 【渋沢栄一】社団法人国際聯盟協会創立・会長。日華実業協会創立、会長。子爵を授けられる。〔80歳〕【竜門社】青淵先生八十寿及び子爵へ陞爵の祝賀会を開催し、記念として青淵文庫を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 増資 資本金二五〇万円 | 福助のあゆみ | |
- | 「穿《は》く身になって作る」宣伝標語とする | 福助のあゆみ | |
- | 新工場第一期工事竣工 | 福助のあゆみ | |
- | 大阪支店設置(大阪市東区本町三丁目) | 福助のあゆみ | |
- | 第一回メーデー開催 | 社会の動き | |
- | 第一回国勢調査実施 | 社会の動き | |
- | 大戦後の経済恐慌起こる | 社会の動き | |
大正10年(1921) | - | 【渋沢栄一】ワシントン軍縮会議実況視察のため渡米。ハーディング大統領と会見。〔81歳〕【渋沢敬三】東京帝大経済学部卒業。横浜正金銀行へ入行。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 懸賞広告「いろは譬《たとえ》」募集 | 福助のあゆみ | |
- | 全国代理店を結集 「福助会」発足 | 福助のあゆみ | |
- | 社長辻本豊三郎 紺綬褒章 受章 | 福助のあゆみ | |
- | メートル法公布 | 社会の動き | |
大正11年(1922) | - | 【渋沢栄一】小畑久五郎翻訳、栄一序文『アンドルー・カーネギー自伝』冨山房より刊行。日仏協会会頭。アルメニア難民救済委員会委員長。〔82歳〕【渋沢敬三】横浜正金銀行ロンドン支店転任。 | 渋沢関係略年譜 |
- | 社長辻本豊三郎 大阪府実業功労者として表彰される | 福助のあゆみ |