福助(株)『フクスケ100年のあゆみ』(1984.05)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治34年(1901) - 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 渋沢関係略年譜
- 第五回堺市製産物品評会 銀牌 受賞 福助のあゆみ
- 官営八幡製鉄所操業 社会の動き
- 第一回ノーベル賞授与される 社会の動き
明治35年(1902) - 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 渋沢関係略年譜
- 工場規模拡張のため二工場を統合新設(堺市熊野町東三丁) 福助のあゆみ
- 足袋裏地に真岡木綿を使用 福助のあゆみ
- 足袋底地に雲斎《うんさい》・紋羽《もんぱ》を使用 福助のあゆみ
- 日英同盟調印 社会の動き
明治36年(1903) - 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 渋沢関係略年譜
- 足袋コハゼに〓[福助人形]を刻印 福助のあゆみ
- 九州地方に販路開拓 福助のあゆみ
- 第五回内国勧業博覧会 二等銀牌 受賞 福助のあゆみ
- 南海鉄道和歌山まで開業 社会の動き
- 大阪市電開業 社会の動き
- 第一回早慶戦行われる 社会の動き
- ライト兄弟(アメリカ)初飛行に成功 社会の動き
明治37年(1904) - 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 渋沢関係略年譜
- 施設改良・機械化促進のため工場移転(堺市大町西一丁) 福助のあゆみ
- エキセンポンス裁断機を改良し 足袋生地型抜裁断に使用 福助のあゆみ
- 日露戦争起こる 社会の動き
明治38年(1905) - 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 渋沢関係略年譜
- 量産のため工場拡張移転(堺市宿院町西一丁) 福助のあゆみ
- 辻本福松右工場隣接地に転宅(千利休屋敷跡・椿の井《いど》現存) 福助のあゆみ
- 給与制度に月給制を採用 福助のあゆみ
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