※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 第五回堺市製産物品評会 銀牌 受賞 | 福助のあゆみ | |
- | 官営八幡製鉄所操業 | 社会の動き | |
- | 第一回ノーベル賞授与される | 社会の動き | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 工場規模拡張のため二工場を統合新設(堺市熊野町東三丁) | 福助のあゆみ | |
- | 足袋裏地に真岡木綿を使用 | 福助のあゆみ | |
- | 足袋底地に雲斎《うんさい》・紋羽《もんぱ》を使用 | 福助のあゆみ | |
- | 日英同盟調印 | 社会の動き | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 足袋コハゼに〓[福助人形]を刻印 | 福助のあゆみ | |
- | 九州地方に販路開拓 | 福助のあゆみ | |
- | 第五回内国勧業博覧会 二等銀牌 受賞 | 福助のあゆみ | |
- | 南海鉄道和歌山まで開業 | 社会の動き | |
- | 大阪市電開業 | 社会の動き | |
- | 第一回早慶戦行われる | 社会の動き | |
- | ライト兄弟(アメリカ)初飛行に成功 | 社会の動き | |
明治37年(1904) | - | 【渋沢栄一】風邪をこじらせ長期に静養。韓国興業株式会社設立、監督。〔64歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 施設改良・機械化促進のため工場移転(堺市大町西一丁) | 福助のあゆみ | |
- | エキセンポンス裁断機を改良し 足袋生地型抜裁断に使用 | 福助のあゆみ | |
- | 日露戦争起こる | 社会の動き | |
明治38年(1905) | - | 【渋沢栄一】韓国皇帝より勲一等太極章。移転した養育院感化部井之頭学校と改称、開校式。徳川慶喜・伊藤博文らを飛鳥山邸(曖依村荘)に招待、茶室・無心庵にて午餐会。〔65歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 量産のため工場拡張移転(堺市宿院町西一丁) | 福助のあゆみ | |
- | 辻本福松右工場隣接地に転宅(千利休屋敷跡・椿の井《いど》現存) | 福助のあゆみ | |
- | 給与制度に月給制を採用 | 福助のあゆみ |