福助足袋(株)『福助足袋の六十年 : 近世足袋文化史』(1942.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
明治41年(1908) - 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 渋沢関係略年譜
- 一、本舗にて店員会議を開き一市一町一店主義をかざして、地方進出を企画し組織的販売方針の基礎をつくる
- 一、奈良公園に初めて全従業員慰安運動会を催す
- 一、店則制定さる
明治42年(1909) - 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 渋沢関係略年譜
5月8日 一、五月八日辻本福松逝去。堺南宗寺に葬る
- 一、実用紺足袋発売
- 一、工場使用ミシンを動力化す
- 一、裁断機を電動式に改む
- 一、第六回全国製産品博覧会銀牌受領
- 一、関西製産品共進会名誉賞受領
明治43年(1910) - 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 渋沢関係略年譜
- 一、足袋の「つぎはぎ」を「のべはぎ」に改め、「角止め縫」を考案、体裁及能率上に改革を加ふ
- 一、フエルト足袋発売す
- 一、分業工程にエフを附ける等作業上の改革実施多し
- 一、第十回関西府県聯合共進会一等賞金牌受領、宮内省御買上の光栄に浴す
- 一、第三回全国特産品博覧会金牌受領
- 一、第二回内国製産品博覧会金牌受領
- 一、第七回全国製産品博覧会金牌受領
- 一、仕上作業の大部分に女子を採用す
明治44年(1911) - 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 渋沢関係略年譜
- 一、京都、岐阜等に販路を拡張す
- 一、「福助印堺足袋」を「福助足袋」と改称し記念特売をなす
- 一、二枚甲馳、のべはぎの足袋を新製し福助記念足袋として売出す
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