※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 為替掛設置 | 三井物産関係 | |
8月 | 名古屋支店設置 | 三井物産関係 | |
- | アメリカ綿輸入開始。インド綿は外商経由を廃し直接買付を始める。綿花、総取扱高の二六%を占め首位の座を獲得 | 三井物産関係 | |
- | カーネギー製鋼会社、アメリカン・ロコモティブ会社から鉄道用品の輸入開始(鉄道用鉄材については、明治32年カーネギー製鋼会社と一手販売契約) | 三井物産関係 | |
- | 綿糸輸出高、輸入高を凌駕 | 関連・一般事項 | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
6月 | 営業部設置 | 三井物産関係 | |
7月 | 益田孝、三井部内商務諮問会で経営基本方針を説明。貿易を中心とし、国内商売縮小の方針を明確化 | 三井物産関係 | |
11月 | 三井同族一一家が全員出資社員となり、三井直系事業としての地位を名実ともに確立 | 三井物産関係 | |
- | ビッカース社の代理店として、同社製軍艦を海軍に納入 | 三井物産関係 | |
- | 芝浦製作所製品を一手に取扱う | 三井物産関係 | |
- | 日清戦後反動恐慌 | 関連・一般事項 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | 門司支店設置 | 三井物産関係 | |
10月 | 豊田佐吉と動力織機および付属品の一手販売契約締結 | 三井物産関係 | |
12月 | 井桁商会設立(金額三井物産出資、豊田佐吉は技師長に就任) | 関連・一般事項 | |
- | 綿花、中国、インド、アメリカからの積極的買付。総取扱高の三一%を占める | 三井物産関係 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 営業緊縮方針について社長訓示 | 三井物産関係 | |
7月 | 三井家、家憲施行 | 関連・一般事項 | |
12月 | 台湾製糖設立 | 関連・一般事項 | |
明治34年(1901) | - | 【渋沢栄一】大阪瓦斯会社監査役。東京・飛鳥山邸を本邸とする。京釜鉄道株式会社取締役、後に取締役会長。茨城採炭株式会社創立、相談役。〔61歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 前年末より各地で銀行取付頻発 | 関連・一般事項 | |
7月 | 三井元之助・社長を退任。三井八郎次郎、社長に就任 | 三井物産関係 |