※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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大正5年(1916) | - | 【渋沢栄一】海外植民学校顧問。日米関係委員会創立・常務委員。第一銀行の頭取等を辞め実業界を引退。理化学研究所創立委員長。喜寿記念として第一銀行が玉川清和園に記念館誠之堂建設。渋沢栄一述『論語と算盤』(東亜堂書房)刊行。〔76歳〕【竜門社】青淵先生の喜寿祝賀会開催し、記念品として林泰輔編『論語年譜』を青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
7月1日 | 社長岩崎久弥退任、副社長岩崎小弥太社長に就任。 | 重要事項 | |
8月 | 潜水艦の製造を目的とし横須賀及び呉の海軍工廠に実習員を派遣。 | 重要事項 | |
8月 | 本社に東洋課を設置し、東洋各地域における起業の調査立案をなさしめる。同課はのち査業課となる。 | 重要事項 | |
9月 | 本社の総務、地所、造船、銀行、営業、鉱山、炭坑の各部にそれぞれ専務理事を置いて、各事業を主管せしめる。 | 重要事項 | |
大正6年(1917) | - | 【渋沢栄一】日米協会創立・名誉副会長。飛鳥山邸(曖依村荘)に晩香廬落成、喜寿の祝いに合資会社清水組より贈られる。〔77歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 長崎造船所建造戦艦日向進水(31,000トン) | 重要事項 | |
1月 | 旭硝子はソーダ灰自給のためアンモニア法によるソーダ工場を牧山に建設。 | 重要事項 | |
2月 | 麒麟麦酒は500万円に増資。 | 重要事項 | |
3月 | 長崎に兵器製作所を新設。 | 重要事項 | |
3月 | 古賀山炭坑KKを設立。 | 重要事項 | |
4月 | 東京鋼材KK設立。同事業は大正15年に三菱製鉄が経営に参加し、昭和15年三菱鋼材と改称、のち三菱製鋼と合併。 | 重要事項 | |
4月 | 北九州黒崎沿岸に103,000坪を買収、右は製鉄所建設計画にもとづく用地買収であるが、世界大戦の終結により、大正8年計画を中止した。 | 重要事項 | |
5月 | 東京倉庫の大阪芦分倉庫爆発、大惨事を引起こす。三菱合資会社は慰問金100万円を大阪市に委託。 | 重要事項 | |
6月 | 鉱業研究所を設立(本社所管、大正7年三菱鉱業に移す) | 重要事項 | |
7月 | 日本光学工業KK設立、資本金200万円。同社は東京計器製作所の光学部門と岩城硝子製造所の反射鏡部門を合同し、岩崎小弥太が援助した。翌7年藤井レンズ製造所を合併、大正11年三菱造船が経営に参加、昭和16年三菱本社の統制下に入る。 | 重要事項 | |
9月 | 本社に査業部を設置、国内及び外国における企業調査、立案にあたらしめる。爾来中国、朝鮮、シベリア、南洋方面へ企業の進出活発になる。 | 重要事項 | |
9月 | 営業部に雑貨課を新設(従来は石炭、金属、船舶の3課、この頃より総合的商社の体制をととのえる) | 重要事項 | |
10月 | 三菱合資の造船部事業を独立させ三菱造船KKを設立、資本金5,000万円。同社は三菱分系会社の最初である。これより三菱合資を中心に分系諸会社を衛星とするコンツェルンの形成を進める。 | 重要事項 | |
10月 | 三菱合資の製鉄事業を分離して、三菱製鉄KKを設立、資本金3,000万円。 | 重要事項 | |
10月 | 鉱山部の直島精錬所建設に着手。 | 重要事項 | |
11月 | 三菱製紙所を改組し、三菱製紙KK設立、資本金250万円。此年2月東京中川工場操業開始。アート紙抄造に着手。 | 重要事項 |