※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治41年(1908) | - | 【渋沢栄一】日韓瓦斯株式会社創立、取締役会長。帝国商業銀行相談役。東洋拓殖株式会社設立委員。木曾興業株式会社創立、相談役。アメリカ太平洋沿岸商業会議所代表委員一行を飛鳥山邸(曖依村荘)に招待。〔68歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 東京倉庫の神戸港和田ターミナル完成。我国最初の近代的海陸連絡荷揚設備。 | 重要事項 | |
3月25日 | 前社長岩崎弥之助死去(満57才1ヶ月) | 重要事項 | |
10月 | 長崎造船所に500キロ発電機を据付ける、我国におけるパーソンス式タービン発電機の初め。 | 重要事項 | |
10月 | 三菱合資会社の事業をその主管各部の独立採算制とする。 | 重要事項 | |
- | ○此年台湾において竹林事業を開始。同事業は三菱製紙所の製紙原料竹パルプの生産を目的とす。44年台湾三菱製紙所を設立したが、その後各種の事業を派生した(台湾事業の発端) | 重要事項 | |
明治42年(1909) | - | 【渋沢栄一】古稀に際し多くの企業・団体の役員を辞任。渡米実業団を組織し団長として渡米。タフト大統領と会見。〔69歳〕【竜門社】組織を変更し、社則を改正。青淵先生の道徳経済合一説を広め実践する団体に性格を変える。 | 渋沢関係略年譜 |
7月 | 東京倉庫は大阪港輸入棉花の荷捌を大阪築港利用会と契約(その前年大阪桜島ターミナルの運営を開始) | 重要事項 | |
明治43年(1910) | - | 【渋沢栄一】政府諮問機関の生産調査会創立・副会長。社団法人東京銀行集会所会長。〔70歳〕【竜門社】青淵先生の七十寿祝賀会を開催する。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 清国湖北省の大冶水泥廠に借款36万円を供与。 | 重要事項 | |
6月 | 上海支店にて菱華公司の名称をもって棉花、綿糸類の取引をはじめる。 | 重要事項 | |
10月 | 福岡県の金田炭坑を買収。 | 重要事項 | |
10月 | 本社庶務課に編纂課を設置し、会社の記録文書を輯録する資料集(社誌と称す)の編纂に着手。 | 重要事項 | |
- | ○此年韓国黄海道において製鉄所建設を計画。 | 重要事項 | |
明治44年(1911) | - | 【渋沢栄一】日露協会評議員。維新史料編纂会委員。財団法人済生会設立、顧問・評議員。勲一等に叙され瑞宝章を授与される。〔71歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
1月 | 社制を改革し造船部、銀行部、鉱山部、営業部、地所部、庶務部、内事部の7部とする(庶務、内事以外は後の三菱分系会社の母胎たる意義をもつ) | 重要事項 | |
4月 | 神戸港及び沿岸の海運業を目的とする菱波汽船KKを設立(三菱合資、東京倉庫の共同出資) | 重要事項 | |
6月 | 朝鮮黄海道兼二浦に於て製鉄事業を起こすことになり、周辺地帯の鉄山の買収に着手。 | 重要事項 | |
8月 | 臨時北海道調査課を設置、北海道の炭業開発に着手、同年12月大夕張炭砿会社に融資、翌年その経営に参加し、大正5年同社を買収。また大正4年美唄炭砿を買収、翌5年芦別炭砿を経営。これより炭業以外にも北海道企業の着手を見る。 | 重要事項 | |
10月 | 猪苗代水力電気KKを設立、福島県猪苗代湖より東京へ長距離高圧送電事業、大正4年送電開始。同社は大正12年4月東京電灯KKと合併。 | 重要事項 | |
11月 | 東京海上は米国保険市場へ進出。 | 重要事項 | |
明治45年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 菱三商会設立(三菱製紙の販売取扱、大正6年9月合資会社に改組) | 重要事項 | |
大正元年(1912) | - | 【渋沢栄一】日本鋼管株式会社発起人。日仏銀行相談役。帰一協会創立・幹事。ニューヨーク日本協会協賛会創立・名誉委員長。〔72歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月30日 | ○明治天皇崩御。 | 重要事項 | |
11月 | 千葉県に末広農場を開設(岩崎久弥の個人農場、弟岩崎正弥経営に当る) | 重要事項 |