(株)大丸『大丸二百五拾年史』(1967.10)

(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。

月日 事項 年表種別
嘉永6年(1853) - 【渋沢栄一】家業の畑作、養蚕、藍葉の買入、藍玉製造販売に精励。〔13歳〕 渋沢関係略年譜
- 大阪堂島に紙店(中店)をつくる 大丸
安政元年(1854) 3月 日米和親条約締結 国の内外
6月 江戸店へ御用金、請高三千五百両 大丸
8月 日英条約締結 国の内外
- 江戸店隣家を買収して糸扇店を開く 大丸
- 京都小紅屋類焼 大丸
安政2年(1855) 5月 皇居造営のため京都本店、上之店、松原店、両替店、堺町店、富士屋店で三千五百両献金 大丸
10月 江戸大地震 国の内外
安政3年(1856) - 【渋沢栄一】父の代理で領主安部摂津守の岡部の陣屋で用金の命を受ける。代官が傲慢で栄一を侮蔑、圧制に痛憤し封建の弊に強烈な反感を持つ。〔16歳〕 渋沢関係略年譜
- 糸扇店を江戸店の店内営業とする 大丸
安政5年(1858) - 【渋沢栄一】従妹尾高千代(ちよ、尾高惇忠の妹)と結婚。〔18歳〕 渋沢関係略年譜
- 安政の大獄 国の内外
万延元年(1860) 3月 桜田門の変 国の内外
- 生糸、呉服など五品江戸回し令 国の内外
- リンカーン、米大統領に当選 国の内外
文久元年(1861) - 【渋沢栄一】春、江戸に出て、海保漁村塾・千葉栄次郎道場に学ぶ。〔21歳〕 渋沢関係略年譜
12月28日 第七代正篤没(六十歳) 大丸
文久3年(1863) - 【渋沢栄一】高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが、計画を中止し京都に出奔。〔23歳〕 渋沢関係略年譜
7月 薩英戦争 国の内外
- 生糸輸出量約三十三万貫(八九〇万ドル)、全輸出量の七五%を占め、内地生糸相場高で絹織物業者打撃を受く 国の内外
元治元年(1864) - 【渋沢栄一】一橋家に仕える。篤太夫と改名。〔24歳〕 渋沢関係略年譜
7月 禁門の変に、西陣上之店を除き総本店ほか各店、本宅別家などことごとく焼失 大丸
7月 禁門の変焼失家屋二万八千余戸 国の内外
8月 長州征伐 国の内外
- 第一次長州征伐軍用金、大阪店百二十貫、大阪両替店五十五貫割当 大丸
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