※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
---|---|---|---|
明治29年(1896) | - | 【渋沢栄一】日本精糖株式会社創立・取締役。東京興信所創立、評議員。東京銀行集会所会長。東京印刷株式会社設立・相談役。東洋汽船株式会社創業、監査役。東京建物株式会社創立発起人。第一国立銀行が営業満期により株式会社第一銀行となる。引続き頭取。汽車製造合資会社設立・創立委員(後に監査役)。北越石油株式会社創業・相談役。日本勧業銀行設立委員。〔56歳〕【渋沢敬三】父・渋沢篤二、母・敦子の長男として都内深川に生まる。 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 半円真珠特許権(第2670号)を取得(1.27)、久米楠太郎を主任として親族10数名が田徳島に移住し事業として本格的に取り組む | 株式会社ミキモト略史 | |
4月24日 | (38歳)妻・うめ死去(32歳) | 御木本幸吉略年譜 | |
明治30年(1897) | - | 【渋沢栄一】澁澤倉庫部開業、営業主(後に澁澤倉庫株式会社発起人)。日本女子大学校創立委員会計監督(後に校長)。十勝開墾合資会社業務担当社員。広島水力電気株式会社創立、取締役会長。渋沢家洲崎養魚場開設。 〔57歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 宮川・山田間鉄道開通 | 一般事象 | |
- | ハイカラー文化の代名詞 | 一般事象 | |
- | 東京で元禄模様着物流行 | 一般事象 | |
明治31年(1898) | - | 【渋沢栄一】浅野セメント合資会社監査役。韓国視察、韓国皇帝に謁見。王子製紙株式会社取締役会長を辞す(後に相談役)。〔58歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | (40歳)大日本水産会より功労賞を受ける | 御木本幸吉略年譜 | |
12月 | 28年4月に施術した貝の第1回採収を行う | 株式会社ミキモト略史 | |
12月 | 明治天皇に半円真珠を献上 | 株式会社ミキモト略史 | |
明治32年(1899) | - | 【渋沢栄一】衆議院議員選挙法改正規制同盟会会長。福田会名誉顧問。大蔵省より株式会社北海道拓殖銀行設立委員に任命。京仁鉄道合資会社設立、取締役社長。銀行倶楽部委員。飛鳥山邸(曖依村荘)に茶室・無心庵竣工。 〔59歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 京橋区弥左衛門町(現・銀座並木通り)に御木本真珠店開設 | 株式会社ミキモト略史 | |
10月 | 曽弥荒助農商務大臣、田徳島養殖場を訪問、この際多徳島となる | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 三重県水産試験場設立 | 一般事象 | |
明治33年(1900) | - | 【渋沢栄一】京釜鉄道株式会社創立委員長。日本興業銀行設立委員(後に監査役)。男爵を授けられる。黒須銀行相談役。〔60歳〕【竜門社】青淵先生の還暦祝賀として『青淵先生六十年史 一名近世実業発達史』を刊行、青淵先生に贈呈する。 | 渋沢関係略年譜 |
12月21日 | 小松宮彰仁親王殿下、多徳島菱殖場にご臨場 | 株式会社ミキモト略史 | |
- | パリ万博に半円真珠を初めて出品 | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 海外 欧州でアール・ヌーボーが流行、装身具にも取り入れられる。また、フィレット式の繊細なデザイン・細工も流行。(~1909) | 装飾略史 | |
明治35年(1902) | - | 【渋沢栄一】合名会社中井商店顧問。清韓協会設立・幹事長。京仁鉄道合資会社取締役社長。兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。〔62歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月 | 元数寄屋町(現・銀座5丁目晴海通り)に御木本真珠店を移転 | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 放養した施術貝、100万貝以上となる | 株式会社ミキモト略史 | |
- | 日英同盟条約調印 | 一般事象 | |
明治36年(1903) | - | 【渋沢栄一】東宮御慶事奉祝会副会長・会計監督。インフルエンザ罹患、喘息を併発。京釜鉄道株式会社理事。日印協会創立・会員(後に会頭)。〔63歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
4月 | (45歳)子女を東京の学校に就学させる | 御木本幸吉略年譜 | |
- | 東京で初の路面電車、新橋-品川間で初運転 | 一般事象 | |
- | ライト兄弟初飛行に成功 | 一般事象 |