※(グレーの背景色)は、「渋沢関係略年譜」を参考のために表示しています。この社史に掲載されている年表項目ではありません。
年 | 月日 | 事項 | 年表種別 |
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明治元年(1868) | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
11月 | 磯野計、神戸の箕作麟祥塾にて英学を修める | 明治屋の動き | |
1868年 | - | 【渋沢栄一】明治維新によりフランスより帰国、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)で慶喜に面会。〔28歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
- | 風月堂、初めて軍用パン製造 | 業界の動き | |
- | ノース・アンドレ〜商会、横浜居留地でレモネード、シャンペンサイダー等を販売 | 業界の動き | |
明治2年(1869) | - | 【渋沢栄一】駿府藩(後に静岡藩)に「商法会所」設立。上京。明治政府に仕え、民部省租税正となる。民部省改正掛掛長を兼ねる。湯島天神中坂下(現在の東京都文京区湯島)に居を構える。〔29歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
2月 | 文英堂(木村屋総本店の前身)創業 | 業界の動き | |
3月 | 神戸の箕作麟祥塾閉鎖、磯野計帰郷 | 明治屋の動き | |
5月18日 | 五稜郭開城、戌辰戦争終わる | 社会の動き | |
6月17日 | 諸藩の版籍奉還を許可 | 社会の動き | |
6月 | 磯野計、藩の留学生として東京浜町河岸藩邸の三叉学舎(箕作秋坪主宰) に入る。のち麟祥塾に移る | 明治屋の動き | |
6月 | 町田房造、横浜で氷水・アイスクリームを販売 | 業界の動き | |
11月17日 | スエズ運河正式開通 | 社会の動き | |
12月25日 | 東京・横浜間電信開通 | 社会の動き | |
- | 東京・下谷の酒悦、海苔佃煮を創製 | 業界の動き | |
- | 牧原仁兵衛商店、東京新川で創業((株)牧原の前身) | 業界の動き | |
明治3年(1870) | - | 【渋沢栄一】大蔵少丞となる。官営富岡製糸場設置に向けて、事務主任となる。〔30歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
7月19日 | 普仏戦争始まる | 社会の動き | |
8月 | 磯野計、藩の貢進生として大学南校(東京大学の前身)へ入学 | 明治屋の動き | |
10月9日 | 岩崎弥太郎、土佐開成商社を設立(三菱商会の前身) | 社会の動き | |
12月8日 | 横浜毎日新聞創刊(最初の日刊紙) | 社会の動き | |
- | 横浜のスプリング・ヴァレー・ブルワリー、ビールの製造・販売開始 | 業界の動き | |
- | 甲府の山田宥教ら、初の甲州葡萄酒を醸造販売 | 業界の動き | |
明治4年(1871) | - | 【渋沢栄一】大蔵省紙幣頭となる。神田小川町裏神保小路(現在の東京都千代田区神田神保町)に転居。『立会略則』刊行。〔31歳〕 | 渋沢関係略年譜 |
3月1日 | 東京・京都・大阪間に郵便開始 | 社会の動き |